1、はじめに
先日のコミケで同人誌『なぜゲーム音楽の楽団は多くてアニメ音楽の楽団は少ないか』という評論本が出品されました。
Sinonさん、ozakikazuyukiさん、とらにゃもさんの合同執筆です。
前おふたりは知り合いで、討論内容に興味があったので読ませていただきました。
読んでみての総論的な感想としてはとても興味深い内容だと思いました。
構成もわかりやすく、抽象的な話にとどまらず、資料や色んな作品あるいは実際に活動している楽団など豊富な具体例を用いて検討されています。脚注も非常に丁寧で読みやすい。御三方の博識ぶりもうかがえ、ナイスな評論文だと思いました。
もし、このブログを読んで興味を持たれた方はぜひ、冊子を手にとってみてください。
せっかくなので自分の考え含め、冊子の内容を前提に感想みたいなものを書こうかなと思います。
当然ですが色んな考え方があるところなので、それぞれお考えになってみる際の参考程度に読んでもらえたらと思います。
2、タイトルの意味
この評論本は、ゲーム音楽の演奏楽団は増えてきているのにそれに比べてアニメ音楽専門の(常設)楽団は(同じ劇伴音楽なのに)増えないのはなぜだろうという疑問を出発点に、twitterでの議論が発端となって会談という形でそのときの話の内容がまとめられています。
したがって、話の内容は全編を通して、ゲーム音楽演奏の場合はこう、これに対してアニメ音楽演奏の場合はこう、という比較の観点で議論されています。
『なぜゲーム音楽の楽団は多くてアニメ音楽の楽団は少ないか』
上記のとおりタイトルにある「多い」とか「少ない」というのは、このような相対的な概念をいっています。
もっとも、アニメ音楽演奏のほうは絶対量としても少ないと言えるかもしれませんが・・・ゲーム音楽の演奏も増えてきているとはいえ、まだその絶対量は多いとは言えないでしょう。
あとは「楽団」とありますが、実質的にはゲーム音楽、アニメ音楽の演奏の機会ないし量の違いが語られているように思います。まぁそれらを演奏するのは専門の楽団であることがほとんどなので、ほぼ同義ととらえて良いかもしれませんけどね。
また、ここでの「楽団」は、いわゆる小編成のバンドではなく、どちらかと言えばオーケストラや吹奏楽に準じる大編成を想定した楽団を前提としているように読めました(小編成を除外しているわけではないと思いますが)。
3、ゲーム音楽の楽団が多い理由
この話は、アニメ音楽に比べてゲーム音楽の演奏がされるのはなぜかという「両音楽の性質の違いや方法変化に基づく演奏のされやすさ」の議論と、「演奏する場所としての楽団の設立のされやすさ」の議論に大別され、両者は密接にからみあい重なる部分もありますが、一応区別が可能です。
冊子の中でもしのんさんの仮説のところではこれらが明確に分けられています。
例えば、前者については『ゲーム音楽は「シーンごとに曲が明確に変わる」「俳優や声優へのセリフへの影響を考えなくてよい」「一曲を繰り返し聴く回数が多い」「音色の制限により口ずさみやすい曲になりやすい」という特徴から記憶に残りやすく、演奏機会も多くなっているのでは』(冊子P.13まとめ)と分析。
後者については『インターネットの登場により熱量がしきい値を超え、ゲーム音楽の演奏や楽団の結成が行われるようになったのでは』(冊子P.13まとめ)と分析されています。
他にも色々あると思いますし、冊子でも言及されていますが(全部を取り上げるのは難しいということで省略)、これらはいずれも納得です。
その後の冊子における議論の深化の部分では、主に前者について掘り下げられていたように思います。密接に関連するところではあるのですが、御三方とも性質や方法論に着目されており後者についてはあまり語られていなかったように思います。
後者について、私見として補足というには恐縮ですが、参考になりうるかなと思うのが2年前に書いた拙著「ゲーム音楽黄金時代の到来」という記事です。
http://ameblo.jp/surary0622/entry-10936102611.html
※内容は当時のことを前提としています
簡単にまとめると、ゲーム音楽演奏楽団が増えたのは、現代になってゲーム音楽の認知のされ方が変わった(ゲーム音楽の地位向上)という背景を前提に、すぎやま氏をはじめとするプロの演奏がまずされてきた(生演奏を聴く機会が増えた)、多感な時期をゲームで過ごしその音楽に感銘を受けた若者が文明のツールを用いて仲間を集めることによりアマでも大規模に演奏することが物理的に可能になったから、という感じです。
しのんさんの仮説のとおり、インターネットは重要な役割を果たしたと思うのですが、ではそれを使って実際に行動を起こそうと思うかどうかはまた別の話だと思うのです。それは道具であって、今の20~30代前半の人たちのエネルギー、若さゆえの勢いが行動を呼び起こし、同じ想いをもつ仲間が潜在的にいたからこそ楽団として成立することができたのではないかと考えています。
なお、子供の頃にやったゲームにこそ名曲が多かった、「ゲーム音楽の名曲はもう出揃ったという仮説」(冊子P.22)はなかなかに興味深く、それも密接に関連しているように思います。名曲がなければ莫大なエネルギーは生まれないでしょう。
ちなみに、ゲームのメーカーがからむオフィシャルなイベントとは別に、最近プロのゲーム音楽楽団が出てきたのも、ゲーム音楽を聴くという需要が増えたからだと思います。プロということはどんなに大義名分をかかげても、それで食べていくということですから、ビジネスとして成り立たなければなりません。
新しいプロ楽団の設立においては、そういう環境が整ったという判断があるからといえるでしょう。
ところで、若干話はずれますが、ゲーム音楽は一般的には人の手によって演奏されることは前提とせずに作曲するというのが大半でした。
ただ、ドラゴンクエストのすぎやまさんだけは別格で、あの人の頭の中には作曲の段階からオーケストラが鳴っており、最初から演奏することを視野に入れて作曲されていました。
ゲーム音楽も他と変わらない音楽なんだという主張が聴こえんばかりで、多くの演奏会の開催はゲーム音楽を演奏するという環境をつくるにあたってきわめて重要な出来事だったように思います。
4、アニメ音楽の楽団が少ない理由
この冊子の目標はこの疑問に答えること(否、広く問題提起ともとらえることができるかもしれません)なので、ゲーム音楽の場合と比べてどうなのか、こちらのほうにウェイトがあります。
まず後者(楽団の設立のされやすさ)について考えてみましょう。
インターネットの普及は同様のことが言えるのでこの点でゲーム音楽とは違いがありませんね(だからこそ、冊子では前者の議論に重きが置かれたものと思われます)。
そうすると、私見からは楽団を設立しようとする者のエネルギーと潜在的仲間の有無の違いということになりそうです。
ここからは、アニメ音楽の性質ともからんできますね。
これも私見ですが、結局のところ、神様目線の客観的に見て、相対的にゲーム音楽と比べてアニメ音楽に(少なくとも楽団の設立をしやすいと思われる年代の人たちが接してきたアニメにおいては)名曲と呼ばれるものは少ないのだと思います。
オザキさんが仮説で『ゲームに比べてアニメの劇伴音楽には魅力がないのか?ということなのですが、私は「魅力はある」と考えています』(冊子P.16)と述べられており、このこと自体は僕も賛成ですが、その量はゲーム音楽に比して少ないのだと考えます。
(なお、名曲とは何かという難しい問題も含まれますがここではとりあえずおいておきます。冊子P21~で言及されている「独り立ち」と関わりがあるかもしれません。)
あるいは、冊子でも言及されていますが、後述のように、劇中の音楽にそれほど意識がいかなかったり、アニメの場合「主題歌」が主に注目されるゆえに、アニメの中で演奏される曲が、ゲーム音楽ほどその一般的地位(市民権のようなもの)を得てはいないということも考えられるでしょう。
ただ、意識がいかないにしても、本当に良い曲であれば気づくはずですから、やはり名曲自体が少ないのではと思います。
いずれにしても楽団をつくるに値するほどのエネルギーが蓄積されにくいのではないでしょうか。それなら仲間にもそれほどのエネルギーがなく結局のところ人は集まらないので、楽団の設立は難しくなります。
ちなみにコスモスカイの場合はどうなのかということですが。
楽団の方向性というのは最初はだいたい設立者の意思で決まります。人が増えていってその後若干の修正はあるにしてもそんなに大きくはずれないのが普通です。
設立段階において、アニメ曲の演奏はたしかに劇伴音楽で排除はしていないものの演奏には消極的な姿勢でした。
ひとつには、設立者がアニメ音楽に詳しくないので特に演奏したいという気持ちも起こらなかったこと、また、一般的に持たれる「アニメ」のイメージが目指す楽団のイメージにそぐわないと考えたためです。
アニメ音楽(エヴァンゲリオン)の演奏は設立から6年以上たって、第4回の定演ではじめて演奏されました。
さて、では前者(演奏のされやすさ)に目を向けてみましょう。
性質論ですが、前述のしのんさんの仮説と逆のことがアニメ音楽にはいえそうです。
また、冊子でもたびたび言及される、曲は演奏されてこそ残るという話はもっともな話だと思いますし、演奏するためにはやはり楽譜が必要です。
アニメ音楽のBGMの楽譜というのはどれだけ売られているのでしょうかね。ゲーム音楽のほうは、絶対数は多いとはいえないもののある程度ピアノ譜が売られていることはたしかです。
編曲をする場合に、譜面がないならいわゆる耳コピをしないといけないわけですが、それができる人は限られるし、ピアノ譜があったほうがやりやすいというのはあるかもしれません。
その点で、ゲーム音楽よりアニメ音楽は演奏されにくいと言えそうです。
ここで、資料としてゲーム・アニメのサントラが全CD売り上げに占める割合は7.8%(冊子P.8)というデータがあげられています。意外に多いんだなという感想をもちました。
ただ、このアニメ曲の中には主題歌のCDが多分に含まれているのではないかとのことです。
そう、アニメ曲の場合、よくイメージされるのは劇中の音楽よりも主題歌なのです。
例えば、るろうに剣心名曲ランク1位は?というアンケートで上位を占めたのは全部主題歌でした。
http://www.narinari.com/Nd/20120818792.html
名曲ランキングであって、主題歌の限定はないのに、アニメの曲といえばイコール主題歌という前提があるとさえ思われます。
ちなみに、主題歌でおもしろいのは、アニメのためにつくられた曲がある一方で、いわゆるJPOPを主題歌にあてるものもあります。
後者が果たして純粋にアニメ音楽といえるのかは疑問ですが、アニメBGMの地位は主題歌に比べてとても低いように感じます。
主題歌については一般の楽団で演奏されたりしますね。アニメ音楽の演奏というのはむしろこういう文脈で語られることが多いでしょう。ただ、一応これはゲーム音楽との比較においては主題歌は別に考えたほうが良いと思います。
男女の差については冊子P.15に言及がありましたが、年齢の比較はどうでしょうか。
思い出補正という言葉がありますが、ゲームと比べてアニメにもやはりあるのでしょうか。
そのときに音楽にどれだけ目を向けていたでしょうか。
印象の残りやすさの違いというのは個人的にけっこう大きいなという気がします。
これはゲームとアニメが能動的か受動的かとも関わりがありそうですが、どれだけ意識するかですね。
アニメにしても映画やドラマの音楽にしても、音楽をも意識させながらつくっている場合はまた違ってくるでしょうが、演奏されてもメインテーマとか超有名曲ばかりで、あまり劇中の音楽が演奏されないのも、印象がうすいからかもしれません。(ちなみに、個人的にはアニメよりもまだ映画やドラマのほうが耳に残りやすいかなと思います。)
例えばドラゴンボールZの曲をひっぱってきましたが、聴いてみたらけっこう良い曲なんですよね(笑)
でもあんまり覚えてなくて、聴いてみて「あーこんなのあったあった」って思い出す程度なのです。
ドラゴンボールZの戦闘の曲
http://www.youtube.com/watch?v=OXc8ea36kkc
作曲:菊池俊輔
上記は「戦闘の曲」って漠然と名づけましたが、『命名により曲が意識される』(冊子P.19)というのは、「なるほど!」と思いました。
『ゲーム音楽は「場所のテーマ」「状況のテーマ」「人物のテーマ」の3種類に分類されるという説がある』(冊子P.19)とのことで、これまた目からうろこでしたが、言われてみればそんな気がします。
名前というのは、他との区別をするために必要なもので、他と区別されることで、その「個」がはじめて意識されるんですよね。
ゲームはわりと「こういうときに流れる曲」っていうのを指摘しやすい一方で、アニメは指摘しにくいというのはありそうです。だから明確にこの曲を演奏したいという意識に結びつきにくい。
『まどマギにおける共有体験』(冊子P.18)という話がありました。
他のアニメと違って、まどマギオケ(一発オケ)が発足したのはネットでの共有体験があったからではないかという話です。
僕は読んでて全部の話の中で一番それはどうなのかなーと思った部分ではあります。
ゲームの場合にはよく共有体験というのがあるでしょう。
例えば、FF6の「仲間をもとめて」という曲は人気曲です。
命を落とした、セッツァーの親友ダリルが乗っていた世界最速の飛空挺を復活させる場面です。哀愁を感じる曲ながら世界崩壊という絶望的状況でそれでも希望を持ってふたたび羽ばたこうという想いが込められた曲だと僕は思います。
そういう涙するイベントの共有体験ってのはたしかにありそうでアニメでも起こりうるでしょう。
他方で、冊子の中で語られている共有体験は、むしろリアルタイム性に重きが置かれているように読めました。まどマギにおける衝撃的体験をほぼ同時に体験した。
ただ、じゃあそれで音楽やろうっていうことになるのかなぁとは思うのです。
結局、「仲間をもとめて」も、それ自体の曲の良さあってのことのように思うのです。僕はまどマギを見ていないので、その衝撃体験と音楽との関係をきちんと把握することはできず、的外れなことを言っているかもしれませんが、特にアニメの場合に共有体験に音楽を演奏する行動を起こすパワーというのがどれほどあるのかというのはいささか疑問を持っているところです。能動と受動の違いと関わるかもしれません。
ちなみに、アニメを見てはいないものの、音楽はちょっとだけ聴いたりしていて、僕自身この曲自体に魅力を感じます。これを演奏したいという楽団ができるのも納得という感じです。動画にある曲を聴くのだけでも、何か惹きつけられる不思議な魅力があります。特にキュウべぇ営業のテーマとか。
魔法少女まどか☆マギカ 音楽集
http://www.youtube.com/watch?v=dGlRtgUVyz4
作曲:梶浦由記
これがいわゆる梶浦サウンドというものなのかもしれませんが、自分が聴いたことがあるもので良いなと思った他曲も紹介しておきます。
歴史秘話ヒストリア オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=vsh1h-pbTrU
ついでにclosing themeも紹介しておきましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=IFwdxKPxkXk&feature=related
誰が作曲したかというのはやはり大きいと思いますね。
この梶浦さんがつくった音楽も、たまたま使われたのがアニメだっただけで、ゲームだろうと映画だろうと同じく評価されるんじゃないかという気がします。
そういう意味でジブリ音楽でも有名な久石譲さんの存在はとてつもなく大きいといえるでしょう。
アニメ音楽の中でもこの人だけは例外という気さえします。
仮に久石さんの名前を知らなくても、劇中の音楽を口ずさめる人の割合が多いのはジブリ音楽の特徴かもしれません。
まぁ、ジブリの場合は、たびたび再放送がされるので、その意味で接する機会が多いというのはありますね。
このような、作品あるいは人物にフォーカスした一発系の楽団というのは、今後も増えてくる可能性は十分あるように思います。一発系は、常設楽団に比べればはるかに組織企画的に簡単です。ターゲットも明確です。
なんでこういう楽団ができるかというのも、常設の楽団では選曲から外れてなかなか演奏できないことから、同士を求めて企画するというケースがほとんどのように感じます。
もっともそこで注目されるのは、あくまで演奏される曲であって、楽団の個性はないということです。
それを良しとするかは価値観の違いといったところでしょうか。
ややそれますが、ボカロの話題もあったのでちょっと触れましょうか。(冊子P.31)
僕はボカロって何かほとんどわかってません。ただ、良い曲もあるんだなってことぐらいは知ってます。
特にオリジナルよりもアレンジがうまいものがありますね。
【初音ミク】ハジメテノオトをエレクトーンで弾いてみました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17440957
「パズル -arranged for Piano/Strings-」を 歌ってみました by ENE
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15838621
色んな形で演奏されることで、このボカロ曲も残っていくのかもしれません。
そういう楽団もあることですし。
ボカロの楽団 東京ボーカロイドオーケストラ
http://tokyovocaloidorchestra.web.fc2.com/index.html
また最近ではこんなニュースもあるみたいですね。
デジタルハリウッド東京本校に新たなコース「初音ミク映像専攻」が開講
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20120821048/
5、結論
この評論本に書かれている内容にはおおむね納得するものばかりでした。
このブログの中で話の流れで引用した部分もありますが、詳細について読んでみたいという方はぜひ読んでみてほしいと思います。
僕はアニメといえば昔は「子供が見るもの」と思っていたのですが、今は違っているんでしょうかね。
萌え系アニメとかは明らかに大人向けな気もしますし・・・
そもそも、そういう目的でアニメを見ている人は音楽にはあまり目を(耳を)向けていないのではないかと思いますね。
ゲームをする場合は、やはり音楽というのは必須で、音楽は別にどうでもいいと思ってゲームをする人はあまりいないのではないかと思います。もっとも、最近のゲーム、プレイヤーはわかりませんけどね。
アニメは日本の文化だ!とよく言われたりしますが、そのアニメ文化の中にアニメBGMが占める地位の高さというのはどれほどなのだろうと思います。主題歌ばかりに目がいきますからね。
あまり重視されていないのかもしれません。ゲームと比べればその文化レベルが遅れているのかもしれません。
いずれにしても、今の状況が続く限りは、アニメ専門の楽団が出てくるのはなかなか無いのかなぁという気はします。一発系はあるとしても。