ご訪問・ぺタ・読者登録・ふぉろーありがとうございます(*^_^*)
(とってもうれしいなぁ~・・・
心の声)
イイネやコメントもパワーになっています☆
ありがとうございます(*´_`*)
このブログではわけあってがんのことをぽんと表現しています。
※ここに書かれてあることは大まかなことです。絶対的なことではありません。ひとつの考え方としてご理解くださいますようお願い申し上げます。哲学も、倫理も、宗教も、占いも自分の自由を縛るようなことがあっては本末転倒です。人間は本来何者にも縛られない自由自在な存在なのですから。私はそのように考えています。ここには私がこれまで学んだことをひとつの考えとして提示しているだけですのでご了承ください。
旧約聖書 創世記
はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。神はまた言われた。「天の下の水はひとつの所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。神はそのかわいた地を陸と名付け、水の集まったところを海と名づけられた。神は見て良しとされた。夕となり、また朝となった。第二日である。
神はまた言われた、「地は青草と、種を持つ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。地は青草と、種類にしたがって種を持つ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木をはえさせた。神は見て、良しとされた。夕となり、また朝となった。第三日である。
カバラでは以下のような考え方をします。
火曜日生まれのあなた
創世記から紐解くと、神が種や実を持つすべての種類の植物を生やさせたことから、花が咲いて増えていくあらゆる草木の生まれた日が火曜日と言う考え方ができます。
カバラでは創世記を神から授けられた不思議な神話と捉えられるので、そええぞれに授けられた人間の運命や特徴を解く暗号ではないかと言う視点に立つのです。
そこから木は男性、草花は主に女性をあらわすと考えました。
花と言えば春を連想するように、火曜日生まれの女性は、家庭でも学校でも職場でも、早くから「蕾」をつけ、あるいは「芽生え」、目立とうとしなくても他の人とはちょっと違い、注目される目立つ存在となります。
渡辺和子先生の「置かれたその場で咲きなさい。」ではありませんが、しっかりとその場に根を張り、ただ咲いているだけなのですが、その美しさ、誠実さが周囲の人々に活力と楽しみを与えるのです。そして、そのため、注目され、愛され、時には憎まれます。(日本には出る杭は打たれるのことわざがありますね・・・。^_^;)
そして木の男性。どちらかと言えば華やかな目立つ女性に比べて、立派な木に成長するためには何十年のときを経なければなりません。そこから連想できることは、人生の前半は、なにか先の見通しがつかない不安なやりきれない時期があるとみるのです。
しかし、風雨に耐え、芽が出るのをじっと待って耐え抜くと、やがて芽が出て伸び始めるのです。いわゆる遅咲きと言われるような大器晩成型の人生が火曜日生まれの男性の人生と考えられているのです。
災いはしばしば姿を変えた幸せにすぎない。また、それをうまく生かすことによって、何倍もの幸せを手にできるのだ。(『向上心』より)
人生はラセン階段式に登ってゆくものだ。心境が下がったように見えた時、思ったときが大事である。「オレはなんて駄目なんだ」としょげず、そういうときこそ祈り、迷いがたくさん出た時ほど一番心が飛躍するときだ、と思え。(『続・如是我聞』より)
タンポポ 1
タンポポは
光を吸って生きます。
光を吸って花咲かします
タンポポは
つねにみんなの足元に咲いて
みんなの足元を照らします。
タンポポは好んで
道端や
どぶのそばや
野原に咲きます
人間の行き届かない心を埋めるように
タンポポは自然児
たくましさと
やさしさと
明るさをもって
人間界につかわされた神のお使い
気がつけば
タンポポは
私のまわりに
たくさん咲いていました
(『わたしの詩 Ⅰ』より)
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
よかったらぽちっとしていただけたらうれしいです(*^_^*)


