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長尾 周格

17時間前 · 

 

栄養学の歴史⑤

 

糖尿病の治療食として、それまでの低炭水化物食から、高炭水化物食へとガイドラインを変えたいという、医者と製薬会社双方の思惑が生じました。

しかし、糖尿病は炭水化物の過剰摂取が原因とされていたのに、いきなり炭水化物をたくさん摂りましょう、しかもその情報の発信源が製薬会社であれば、誰だって疑いますよね。

マッチポンプであり、製薬会社の利益のための偽情報だろうと。

そこで製薬会社は、食と病気や健康との関係を語る、専門家集団を作り上げる必要性にかられ、1928年、アメリカ栄養学会が創立します。

創業メンバーの栄養学者たちは、元は製薬会社の研究員たちでした。

彼らの行う研究成果は、新たな食事指導の科学的根拠とされました。

彼らの尽力によって、1950年に制定したアメリカ糖尿病学会の最初のガイドラインでは、食事における糖質の摂取は40%と、ジョスリン糖尿病学の2倍に増やされました。

さらにさらに1971年のガイドラインで45%、1986年のガイドラインでは60%と、どんどん上がっていきました。

そうはいっても、アメリカ栄養学会ができた当初は、あまり目立った活動はしていません。

というのも1929年にアメリカのウォール街で株価の大暴落が起き、これを契機に世界的な大恐慌が発生しました。

各先進国は植民地を利用したブロック経済を敷き、植民地を持たないドイツやオランダは窮地に立たされました。

ドイツではナチスが台頭し、第二次世界大戦へと進んでいきます。

戦争になれば、軍需品として抗菌薬の需要が高まります。この流れでドーマクのサルファ剤の開発、1941年フレミングによるペニシリンの発見へとつながります。

しかしながら、大規模な戦争が終結すると、抗菌薬の需要は急速に縮小し、その一方で慢性疾患の治療薬の需要が飛躍的に増えていきました。

いや、飛躍的に増えるように製薬会社が画策したというのが正しい表現でしょう。

創立当初のアメリカ栄養学会は、糖尿病における食事指導で糖質摂取量を増やそうと考えていたのは先に書いた通りです。

しかしながら、その道を邪魔する厄介な存在が、地球の裏側にいたのです。

その存在とは、日本人栄養学者、佐伯矩でした。

佐伯矩は先に説明したとおり、タンパク質や脂質の摂取の重要性を説き、もっと肉や魚介類をたくさん食べるよう栄養学的観点から発信していました。

佐伯は国際連盟を通じ、世界各国で栄養学的知識の大切さを講演して回っていました。

糖質の摂りすぎは糖尿病を招くことを、佐伯の講演を通じ知った人も当時は多かったのでした。

アメリカ栄養学会がそんな佐伯の活動を放っておくはずもありません

1935年に日本の国立栄養研究所は閉鎖され、佐伯は栄養学の世界から追放されてしまいました

その一方で、多くの日本人に悪影響を与え、病人や死者までたくさん出していた玄米菜食の思想は、アメリカやヨーロッパに伝えられていきました。

一人のカルト宗教家、桜沢如一(さくらざわゆきかず)という人物によって。

つづく

 

以上

 

 

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