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歴史って好きなんです。
大事ですよね。
長尾周格先生のFBからシェアさせていただきました。
長尾先生ありがとうございます。
長尾 周格
栄養学の歴史①
栄養学の歴史というのは、実はとっても浅く、せいぜい100年くらいの歴史しかありません。
栄養学によって、食と健康や病気との関係が分かったと思っているあなた、それ、違いますから。
栄養学の祖とされるのは日本人で、その名を佐伯矩(さいきただす)といいます。
明治38年(1905年)から明治44年(1911年)まで、アメリカのイェール大学に留学し、最新の医学を学んでいました。
帰国後1914年に、白金で栄養研究所を立ち上げました。これが世界初の栄養学の研究所となりました。
1920年に国立の栄養研究所が創設され、佐伯矩はその初代所長となりました。
佐伯矩が取り組んだ当初の研究は、日本人の健康にとって必要な栄養所要量と、三大栄養素の最低摂取量の策定、白米と玄米の研究、一日一食と三食の違いなどでした。
佐伯は研究を通じて、タンパク質や脂質をもっと多く摂るよう勧告したり、玄米は白米と同等に体に悪いと示したり、一日一食と三食では、三食の方が栄養をより効率的に吸収できることを示したりしました。
なぜこのような研究テーマを彼が選んだのかというと、当時の日本では、マクロビオティックという宗教が一種のブームとなっていて、玄米菜食こそ人間本来の食であるという話を真に受けて実践した人が多かったからです。
マクロビオティックの流行により、玄米菜食を実践する人が増え、健康被害や死者まで出る社会問題となっていました。
この誤った知識を正すために、佐伯矩は奮闘していたのでした。
佐伯矩は世界の栄養学をリードする研究を次々と行い、また栄養学の重要性を知らしめるため、世界各国で講演を行いました。
これが現在に至る栄養学の始まりかというと、実はそうではありません。
佐伯の立ち上げた栄養学は一旦潰されてしまいます。そして新たにアメリカで栄養学が立ち上げられるのですが、それは佐伯の作り上げたものとは全く違ったものでした。
次回は現代の栄養学のルーツとなる、アメリカ栄養学会の創立のお話をしましょう。
長尾 周格
栄養学の歴史②
18世紀、ドイツのクルップは、鉄の新たな精錬法を編み出し、それまでの青銅製の大砲から、鉄製の大砲を作ることに成功しました。
鉄製の大砲は精度や強度が高く、連続で発射しても壊れにくいため、ヨーロッパ各国で非常によく売れました。
この新たな鉄の精錬法とは、鉄を溶かすための燃料を、今までの石炭からコークスに変えたことでした。
コークスは炭焼きの要領で石炭を焼くことで作ります。
このときに副産物としてコールタールができるのですが、当時は船の防水くらいにしか使い道がありませんでした。
高品質な鉄ができるようになると、大砲などの兵器以外にも、鉄を用いて様々なものが作られるようになりました。
高品質の鉄は蒸気機関を作ることを可能にし、蒸気機関は産業革命を招いたのでした。
イギリスはインドから綿を大量に買い付け、蒸気機関を用いた紡績機を使い、効率的に綿布を生産するようになりました。この綿布は非常に安価で高品質だったため、世界中で飛ぶように売れ、イギリスは経済的に大きくなっていきました。
イギリスの科学者は、コールタールが反応性の高い物質であることに気付きます。綿布を染めるため、コールタールから様々な染料を作るようになりました。
コールタールから染料を作る過程で、有機化学が発展しました。
19世紀後半になると、アメリカで石油が出ます。
するとそれまでエネルギーの中心だった石炭から、石油へとシフトチェンジしていきました。それとともに、石油もまた、コールタール同様反応性に富む物質だったため、今度は石油から染料が作られるようになりました。
1899年、ドイツの製薬会社バイエルは、非麻薬性で非常に効果的な鎮痛薬、アスピリンを開発しました。
鎮痛剤はそれまでアヘンやヘロインなど、麻薬性のものしかありませんでしたから、世界中で爆発的に売れ、バイエルは一躍巨大企業となっていきました。
19世紀ごろ、産業革命を成し遂げたヨーロッパ各国は、世界へと覇権を拡げていきました。最初は帆船で、蒸気機関発明後は蒸気船で、世界中の国々を片っ端から植民地化していきました。
ところが長期航海において、壊血病が流行したため、壊血病の原因とその治療法が求められました。
壊血病はどうやら細菌感染ではなく、食の問題によって起こるのではと、一部で考えられ始めていました。続きは次回。
以上
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