●情報公開(戦争への道を阻止するために!!)

情報公開・個人情報保護審査会の答申
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。
審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。
思うに、審査会が独自の権限で、内部を調べられないことが残念である!!防衛省の見解をそのまま踏襲。異議を申し立てて4年かかってこの回答。審議は2回だけ??
裁判所の決定
「ABC企画ニュース」より

10月11日(火)14:00から、東京地裁419号法廷で、第12回目の防衛省の『衛生学校記事』の公開を求める裁判が行われました。岩井裁判長は、被告の防衛省に対し、詳しく調べるように、具体的な名前まで挙げ(防衛省が管轄する図書館のすべて、例えば、衛生学校図書館、彰古館等)さらに防衛省の外局も調べるように、また、あった場合は、その経緯も報告するように命じました。
また、ある程度時間がかかってもよいということで、よく調べてくださいということでした。
原告側からは、防衛研究所にある資料と金原節三目録の資料とは同じではないかということで、同一のものであることも確認してくださいということが付け加えられました。
次回、「衛生学校記事」情報公開裁判 2月28日(火)午後 2時~東京地裁419号法廷
次回、「化学学校記事」情報公開裁判 3月 1日(水)午前11時~東京地裁522号法廷、
傍聴よろしくお願いします。
2016年12月21日(水)『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の公開を求める裁判が東京地裁522号法廷でありました。
最初は、情報公開法でその2点を開示請求していたのですが、保有していないことを理由に、行政文書不開示を防衛省は決定しました。それに対し、原告は、行政不服審査法に基づき異議申し立てをしました。その審議会が、防衛省の意向に沿って、不開示は正当であるとの結論を出すまでに、4年も年月をかけているのです。全く何もやっていなかったのではと思ってしまいます。防衛省と審査会とのやり取りはどんなことがあったのか、4年間の経過をきちんと説明してくださいと、弁護士は切実に訴えました。また原告は、いまだに、細菌戦被害・毒ガス被害で悩む中国の被害者のためにも、きちんと公開すべきだと陳述しました。
化学学校記事の第12号には、杉田論文「自衛隊員が語る旧軍技術研究」として次のような細菌戦に関する記述があります。
「-日本は1931年(昭和6年)満州に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935年(昭和10年)には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。
1938年 華中戦線 細菌大量使用
1939年 ノモンハン 細菌大量使用
1940年 重慶爆撃 ペスト菌、コレラ菌使用
1941年 湖南省 細菌作戦
1943年 華中、華北 細菌作戦
その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与にみられる」
今、現在の研究では、細菌戦を始めたとされるのは1939年のノモンハン事件の時です。この論文が確かだと、ノモンハン事件の前に細菌戦が38年に華中で行われていたこと、また、重慶でも細菌戦が実施されていたこと、1942年の浙贛作戦以降の43年にも細菌戦が行われていることになります。
今、まさに、この『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』『衛生学校記事』そして『731部隊関連資料』の全面公開を実現させ、細菌戦・化学戦の戦中・戦後の実態を解明し、今の日本の現状でいいのかを考える時に来ています。
自衛隊はA(核兵器)B(生物兵器)C(化学兵器)の研究をどのようにしているのか、国民にその実態を明らかにしなければなりません。
憲法9条はないがしろにされ、軍事研究がどんどんとスピードアップされている現状を打破しなければと強く思います!!
※『化学学校記事』等についての回答がありました。
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。
この答申が出るまでになんと4年のかかっている!!その間、防衛省は、審査会にどんな返答をしていたのか?全く無視していたのか?
防衛省と規模がでかくなって、何をやっているのか、全く見えない省である。すべて秘密裏に行っている??
防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!!
毒ガスを製造しているんだから、勿論、現在、生物兵器、核兵器の研究・開発・製造もやっているのでしょう。
情報開示への政府の姿勢が問われそうだ。
特定秘密の国会監視 実効性高められるかが課題
・ニュース
中国外務省の陸慷報道局長は7日の記者会見で、南京大虐殺記念館のほか、満州事変の発端となった柳条湖事件を記念した博物館や731部隊跡地を挙げ、「日本が深刻に反省し本当に謝罪したいなら、中国には多くの弔うべき場所がある」と述べた。
中国にも「弔う場所ある」=安倍首相の真珠湾訪問
「安倍首相はまず南京に来るべきだ。我々は寛容の心で受け入れる」
<中国>南京大虐殺の追悼式典 安倍首相の訪問求める声も
「米国のほかにも戦争被害者数千万人… 彼らも慰霊する計画はあるのか?」 戦争責任を終わらせようとする思惑を指摘
実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。
それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。
真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状
韓国でアパホテルの“利用自粛”運動始まる…大学教授がホテル側に抗議=書籍問題で
<米大統領令差し止め>ビザ取り消し撤回 国務省、入国容認
米・トランプ大統領、入国制限差し止めを「ばかげている」と批判
翁長知事「県民に失礼」 「辺野古が唯一」方針に不快感
お互い戦争の罪悪を認めない者同士!!
<日米会談>「政策の継続性確認」防衛役割分担の協議加速へ
???
佐賀で鳥インフルエンザ発生 養鶏場のニワトリ6万9000羽を殺処分へ
裁判所がおかしな判決を連発する本当の理由/瀬木比呂志氏(元裁判官・明治大学法科大学院教授)
憲法9条はどこ行った??
<防衛省>迎撃ミサイル発射実験成功 米ハワイ沖で
戦争被害、30年記録し続けた証言 今春、映像公開へ
尖閣は日米安保の適用範囲、マティス米国防長官
静かに粘り強く抗議 「ヘイト」被害の沖縄 現地報告
トランプ大統領令「オバマ大統領も入国禁止してた」デマについて。
【築地仲卸組合理事長選】移転慎重派が新理事長に。
第43回 市民が本当に政治を変えることができるのか?
●731問題
常徳細菌戦
終戦50周年731部隊1
終戦50周年731部隊2
・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
《七三一》 20150831 第一集
<戦後70年>731部隊の証言集め20年
生体実験で博士号とった日本人たち - 731部隊
医学者とは6
様々な問題
医学者とは1
731部隊跡
リニューアル・オープン



「旧日本軍の第731部隊の跡地発掘についての記者会見」が7月23日、黒竜江省考古学研究所は「旧日本軍第731部隊跡地の保護規則」沿った、2年近にわたる作業により、旧日本軍731部隊の跡地発掘調査は大きく進展したと明かした。最近実験室や牢獄、ボイラー室、貯水プール、動物焼却炉や細菌の弾薬に至るまで細かく調査、発掘を実施し、1000点あまりの戦争の遺物を出土した。中国新聞網が伝えた。
日本軍731部隊跡地から多くの戦争の遺物が出土
●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦
・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。
中国に於ける旧日本軍の細菌戦
中国の被害者も同じ心境では?
沖縄戦、心の傷深く 体験者65%「今も思い出す」
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
●特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材
●731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
●「731部隊はどこまで明らかになったか、この部分はまだ謎」
4月26日近藤昭二講演 001
4月26日近藤昭二講演 002
4月26日近藤昭二講演 003
4月26日近藤昭二講演 004
4月26日近藤昭二講演 005
●西里扶由子さんが熱く語る731部隊!!
2015年3月22日西里講演 001
(講演中の訂正)
農安細菌戦 1940年
衢県(くけん)、寧波(にんぽー)細菌戦 1940年
常徳細菌戦 1941年
広信、広豊、玉山細菌戦 1942年
(月刊保団連) 「旧日本軍による細菌兵器攻撃の事実-新発見史料
2015年3月22日西里講演 002
2015年3月22日西里講演 003
●松村高夫さん(慶応大学名誉教授):「731部隊を検証する」4.11
「731部隊を検証する」4 11№1
「731部隊を検証する」4.11№2
「731部隊を検証する「4 11№3
「731部隊を検証する」4.11公開学習会№4
「731部隊を検証する」4 11№6









ヒルレポート(総論)




●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会№1
「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№2
「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№3
「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№4





侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】
731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!!
ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか?
●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
細菌戦資料発掘の旅(1)
近藤昭二(本会共同代表、ジャーナリスト)
731部隊・細菌戦関連の資料を発掘する旅の報告。まずはロシアに残されている資料のレポートから始めることにする。
日本語版も出回ったハバロフスク細菌戦裁判の公判記録
冒頭に、調書の目次があり、続いて日付順に調書が並べられている。
どういった様式になっていたのか、ここに実例を挙げてみる。
『公判書類』は、1950年出版の後、1973年12月に全日本医学生連合・刊行委員会から、1982年7月には海燕書房と不二出版で復刻されているが、いずれも残念なことに捜査段階の調書は「抄録」になっている。特に川島清の1949年10月24日付け調書は省略が多く、そこには安達演習場での実験の模様や中国中部での細菌戦実施についての重要な事実が語られているので、川島分の3通全文をまずここであげてみる(宇都宮亜紀訳 英語版を参照して筆者監修)。
大括弧[ ]でくくった太字の部分が省略された部分。二重括弧《 》は欄外余白の記入、文中の下線は原文のママで、タイプ後に記入されているもの。
川島清尋問調書
捕虜・少将
1949年10月21日 ハバロフスク市
[尋問時間:19時30分 尋問終了:2時45分
《左の余白に、手書きで:「731部隊第4部 総務部長」》
川島証人はロシア連邦共和国刑法第95条による偽証罪の警告を受けている。
尋問は、ロシア連邦共和国第95条による偽証罪の警告を受けた、日本語通訳プリャチェンコを介して日本語で行われる。
署名 プリャチェンコ]
質問:関東軍731部隊の開設について何を知っているか、また組織された理由は何か?
答え:こうして、1940年ハルビン市には純粋に防疫・診療を行う部門のみが残り、細菌戦の準備に関わる残りの各部署はすべて平房駅に移された。
1940年に出された天皇の勅令は、そのほかに、この勅命によって、満州の様々な地域に組織された支部も含めて、人員を3000人まで増やすこと、また組織編成として部隊をいくつかの部に分けることが示されていた。
私が述べた731部隊の編成経緯について、私が知り得たのは、1941年に私が閲覧した部隊総務部の文書と、前任の総務部長で私が1941年にその業務を引き継いだ大田大佐の言葉と、部隊の第2部長である村上隆軍医中佐の話からによる。

・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)

・パネル展

中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。
・細菌戦最大の被害地・浙江省を訪ねるスタディツアー

2016年10月24日 衢州(くしゅう)


2016年10月25日 麗水 (れいすい)
2016年10月25日(火)麗水№2
2016年10月26日(水) 四路口(しろこう)

2016年10月27日(木) 武義、金華石門
2016年10月28日(金) 金華市街
2016年10月29日(土)義烏市崇山村
台湾義勇隊(金華 )
台湾義勇隊(上)抗日戦争:細菌戦
台湾義勇隊(下)(抗日戦争)
事前学習会
※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!
『細菌戦資料センター会報10号』より

731部隊展のホームページです。
ご覧下さい!!
731部隊展