苦しい時・生きるバランス
身近な人の言葉や態度は影響力が強く、特に幼児にとっては影響が大きいものです・・・。
そして、大人になってもそのことで苦しむことがあれば、育ててもらった感謝の気持ちを持ちつつも「そういった考え方もあるよね・・・。」くらいに受け止め、自身の個性や感性で生きていく勇気も大切だと思います。
時には決別という選択も必要な時があるかもしれません。その時は罪悪感を持たず、その選択ができた自身をあたたかく受け入れてあげるといいですね。
例えるなら、親の車のチャイルドシートに乗っている状態から、自分で好きな車を選び自分で運転するくらいの違いです。 例えがわかりにくい?(笑)
責任と自由は表裏一体。
苦しいのは、大人になり、車は自由に選べ、自由に運転できても、チャイルドシートに乗っていた時と同じ車を購入し、同じ道をおのずと運転したり、抵抗や反発から真逆の道を選ぶような目に見えない影響力の糸で縛られ、そこから抜け出せないことです。
もちろん、チャイルドシートに乗っっていたときと同じ車で同じ道を選んでも、選択した本人が最善で快適であれば言うまでもなく素晴らしく心地良い旅といえます。
ソフト面とハード面。私たちの人生において、まずはソフト面の充実が大切だと私は思っています。
いくら立派な車で立派な道を走っていても運転する人が居心地が悪いのであれば、その旅はその人にとって快適な旅とは言えません。
快適かそうでないかは感性(感情)です。
勇気がいるかもしれませんが、感性を信頼し生きることは自然との調和であり自身との調和だと私は思っています。
小さい頃は母子(又は周りの大人と)同一化しているので、大人になってからもそれが自身の価値観か幼いころの周りの人の価値観かわからなくなることがあります。
通常とか、普通とか、世間一般とか・・・そんな言い方はもっともらしいけれど、「それはそれ」。十人十色、百人百色。
正しい生き方などなく、その人生を歩んだ本人がどう感じているかにつきるのではないでしょうか。本人がどう感じているか。
本人が心地良いと思える時間を少しでも多く過ごせることに私は協力したい。
ハード面の比較や安定でなく、自発的な気持ちによってのみ得れるものがあります。そういったものはハード面の充実だけでは決して手に入れることはできません。
最終的にはその両方のバランスを持つことが肉体を持っている私たち人間の真の豊かさだと私は確信します。
私たちは神でもなければ、本能が占める割合が多い動物でもありません。
人間と他の動物との違いは、二足歩行することにより、頭は天に繋がり、足は地に繋がり、知性的発達を成し遂げたことが人間の大きな特徴です。
しっかりと大地(物質社会)に繋がり、天(精神性)と繋がる、これも「見えるものと見えないもの」とのバランスです。
人間は人間として自覚し、人間として豊かでありたいと思います。
その時に個人個人の感性がとても大事だと私は思うのです。
個人は皆、特別な存在であり、輝く星であります。
私だけが特別な能力、特別な存在だと思うことは落とし穴。
思うがままに色々書きました。これはあくまでも私の自論。
様々な考えがあり、個性がそこに在ると思います 
正しい、間違っているではなく、様々な自論、お伝えいただけると嬉しいです。