原理講義を自分にする。
これは私の習慣のひとつだ。
所謂自己牧会のひとつだろう。
今日は、創造原理における、創造目的。
▼「神は喜びの為に人間を創造された」
私が献身時代、
原理講義をし始めた時に、
ゲストがたまに聞いてきた。
「神様って自己中心ですか?
だって自分の喜びのために人間を
創造されたんですよね?」
純粋で面白い見解だ。
しかし、統一思想を見てみると、
「心情という言葉が紹介されている」
心情とは・・・
「愛を与えようとする情的衝動」
この短い一文が切れ味があって素晴らしい。
そして我々が侍る神は「心情の神」。
つまり、神と言う存在は、
「愛を常に与えたいという存在」
では神の喜びとは何か?
愛する子女である人間を愛し、
愛し、愛し、そして愛する。
その愛を受けた人間が、
喜ぶ。
「神様の愛によってこんなにも幸せになりました」
と感謝する。
その姿を見て、
“初めて”神は喜ぶ。
つまり神の喜びとは2次的なもの。
人間が喜ぶ姿なしには、
神ご自身も一人では喜ぶことができない。
対象があって初めて愛は成立する。
ここで原理における、
「相対絶対価値」というものが出てくる。
相対に価値がある。
相対がいるから愛せる。
愛せるから喜びがある。
愛と喜びは表裏一体の関係だ。
「おれが主体だ。従え!」
ではない。
そこには喜びがない。
原理を追求すればするほど、
相対を頂いたこと、
家庭を持てたことに感謝が生まれる。
今日は久々に
奥さんにご飯を作ってみようかな。。
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