「王様の耳はロバの耳」という有名なお話があります。

 

このお話は、ロバの耳になってしまった王様が、その耳を隠すために頭巾を作らせました。王様はこの頭巾を作った職人に、ロバの耳であることを決して口外しないよう脅迫するのですが、結局、ロバの耳であることはみんなに知れ渡ってしまうという内容です。

 

このお話から得られる教訓は、秘密ごとは必ずばれる、ということだと思いますが、王様の耳がロバの耳になった経緯についてはあまり語られません。

 

私が子供のころ読んだギリシャ神話の中に、このお話が出てくるのですが、内容はこんな感じです。

 

羊飼いの神であるパンは笛が得意で、ある日、音楽の神であるアポロンに音楽で勝負を挑みました。パンは得意の笛、アポロンは竪琴を引き、それを聞いた参加者の評決で勝敗を決することとなりました。結果はほぼ満場一致でアポロンの勝ち。なぜ「ほぼ」かというと、参加者の一人、パンの神と仲の良いミダス王だけがパンの勝ちを主張したからです。

 

レベルの差が明らかな勝負、その勝敗に異議を唱えたミダス王にあきれたアポロンがミダス王の耳を引っ張ったところ、王の耳はロバの耳になってしまいました。

 

私がこのお話から思うことは、世の中、ミダス王のような人は意外に多い、ということです。このような人をへそ曲がりと言うのでしょうか。

 

ミダス王のような人は分かりやすくていいのですが、そこまでの力の差がない勝負の場合、引き分けを主張するも一定数いると思います。

 

様々な考えや意見があっていいと思いますが、正しい判断ができない、分かっていても曖昧な発言をしてしまうのは、今の日本の風潮なのかとも思います。