翌日から『狼男』との遭遇場所の周りの住宅、施設を鑑識が徹底して調査することになった。
庭、壁、そして屋根にまで眼を配り、徹底的に痕跡を探す。
夏の最中、特に屋根に登り痕跡を探す鑑識班は、自らの汗が乾燥して出来た塩によって、ただの帽子を純白の王冠に変貌させている。その中、室田そして岩崎も屋根にあがり、ヨシさんが『狼男』と『フードの男』を隠れて見ていたという電柱を見下ろしていた。
わずかでも良い、少しでも手掛かりがあれば・・・。だが、遭遇した当日は雨が降っていた。証拠となりそうな物も流されている可能性が高い。
どうしても不安が頭をよぎる。

「大丈夫、何かでるさ。」

視線を手元から外さず、作業をしながら世田谷署刑事課鑑識係の木ノ下が、二人の心境を察したかの様に語りかけた。

「ベテランの勘、ですか?」
「違うよ岩崎。
 生きてる物は必ず痕跡を残す。痕跡を残さず生きていける物は存在しないんだ。」
「・・・。じゃあ、痕跡が無い場合は・・・。」
「存在しない物ということになるな。」

黙々と作業を続けながら木ノ下はさらりと言ってのける。
自分の作業が無駄になるかも知れないに、こんな事を平然と言うなんてどういう心境なのか。
岩崎は驚きに似た感情を覚える。

「存在しない物だということが分かれば、証言がホラだった事が分かる。
 それだけでも違う。」

室田がそう言うと、木ノ下はただ口元を上げて答えた。
その時である。
道の向い側、飲食店を一階に構えるアパートの屋根から、若い鑑識官の声が上がった。

「在った!在りました!!
 出来たばかりの靴の跡です!
 デカイっすよ!」

その靴の跡が『狼男』の物と限ったわけでは無い。
だが室田は、夏の日差しとは違う熱気が身体をめぐるのを止める事は出来なかった。

岩崎の報告が終わると、捜査本部内はにわかに騒がしくなる。

事件解決の糸口になると考える者、そしてヨシさんの証言はホラでしかないと考える者が、それぞれ意見とも野次ともつかない発言を周囲や遠まわしに室田や岩崎に投げつける。

次第に捜査本部内に混乱が起こりつつあったその時、木戸管理官が噤んでいた口を開いた。


「室田。俺は正直、今回の証言をそのまま受け入れることは出来ん。

 その、ヨシさんというホームレスが事件の事を近所で聞いてホラを作った可能性もある。

 なにせ『狼男』だからな。

 全てを信じるというのが無理な話だ。」


喧騒が止み、捜査員の視線が一斉に室田に向かう。

うまいな相変わらず・・・、室田は心の中でつぶやく。

木戸はヨシさんの証言完全に否定も肯定もせずに室田に投げ返すことで捜査本部の混乱を収めた。


「私も100%信じるわけではありません。

 ただ、『狼男』に関しては対象が覆面の様な物をつけていたのであれば別でしょう。

 事件現場と、その『狼男』と遭遇した場所が非常に近いのも気になります。

 ホラ話で済ましてしまうのは危険ではないしょうか。」

「・・・。よし!」


木戸は席を立ち、マイクを手に取る。

立ち上げることで腹に力が入り声がより通る。

ちょっとした違いだが、それが捜査員を鼓舞する際には大きく影響する。


「今回の証言の裏取りにはそのまま室田、岩崎が当たれ。

 その『狼男』が降ってきたという証言から周囲の建物の屋根に痕跡がある可能性がある。

 鑑識の要請を忘れるな。

 他の者は引き続き現在の担当を全力で行え。

 どんなに細かい情報でも出来る限り捜査員同士で共有できるようにする為にも報告は素早く本部に送れ。

 いいか。今回出てきた証言はどこまで信じて良いかわからん。

 だが、それでも可能性がある限りそれを突き詰める!

 俺たちは机の上で情報分析するのではない!疑え!動け!

 ホシを必ず挙げるぞ!!」

「了解!」


刑事達は一斉に立ち上がり敬礼を行うと本部から出て行く。

刑事の仕事は基本的に犯罪が終了した後である。つまり手遅れなのだ。

事前に被害者を守ることが出来ない、刑事はそのことに無力感を覚えているからこそ犯人逮捕に向けて全力を尽くす。

官僚連続殺人犯、今だその姿は見えず。しかしその影が見えそうだ。

刑事達の身体は熱気に満たされていた。

「狼男が空から飛んできて、怪しいフードの男と会話を始めたって・・・。

 何が何だかもう・・・。」


これまで黙っていた岩崎が思わず独語する。

それを聞いたヨシさんが反論する。


「俺だってそう思うさ。だからとんでもない物を見たっていってんだろ。」

「そりゃ、そうだけど・・・。」


岩崎の混乱は分かる。

こんな仕事をしていれば捜査をしている最中にあの家は呪われているだとか、悪霊に取り付かれているだとかの話は出てくる。

だがそういった物は、あくまで証言する人間の心象や死生観、宗教観の問題であり、ジンクスのような物だ。

だがこのヨシさんの話は完全にオカルトである。狼男という怪物であり、幽霊や呪いよりも話を聞く者に質感を感じさせる。

そしてだからこそ室田はヨシさんは嘘を言っていないと考えていた。

ホラを吹く人間は、出来る限り聞く人間に対して掴みどころの無いように話をする。

幽霊や呪いは想像する人間によって姿形が違う為正しい答えは出ない、つまり都合よく話を変えられるのだ。

だが狼男の様にある程度姿形が認知されているものはごまかしが効かない為、ホラで使うには向かない。

なにより、経堂という場所、そして時間。ヨシさんが狼男に遭遇した時間は、まさに幸田次官の殺害時刻と一致するのである。


「話の内容は聞こえたのか?」


室田は岩崎の混乱に同調せず、ヨシさんに質問を重ねる。


「雨降ってたし・・・。

 でも、少しだけなら・・・。」

「何?どんな内容だ?」

「そうだな、止めるとか狂うとか・・・。

 他には『ニイ』とか『ブラック』、あっ、『キューバ』って言ってたな。

 後はよく聞き取れなかったよ。」


『ニイ』『ブラック』『キューバ』、これが意味することは何なのだろうか。

特に『ニイ』。これは日本語なのか、それとも専門用語か?

事件解決という名のパズルは今だ穴だらけで、ピースすら欠けている。

だが室田は落胆はしない。

ひとつひとつ欠けたピースを見つけ、揃えて行けば必ずパズルは完成するからだ。