AIが人を幸せにする
あらゆる発明は、それが役に立つから広く利用される。AIにより、絵、小説などのイマジネーション、クリエーションの領域まで、人間の手がかからなくても、生み出せるようになる(なった)。AIによる自動の絵の生成、物語の生成によって、画家、小説家、役者などは淘汰されるとする。しかし、その時に表現の受け手としての個人は、より素晴らしい作品を味わうことができる。過去、文化の進展により、電話交換手、港の荷運び人、等々、色々な仕事がなくなった。文化的な生成物にしても同じ道をいくだけとも言える。今、電話交換手がいることを懐かしむ人はいない。なら世界はそう形を変えていくと思う。とはいえ、実際は完全にそうはならないのではないか。人は物語が好きである。物語とは人そのものであり、AIは人そのものにはならない。(もしなったとしたら、それは新しい人になるだけであり、そこにAIの効率性は失われる。)誰かが考えたこと、汗水たらしたこと、苦労した事、そうした物語があっての、物語だとすれば、人が人として生み出すことの意義は、どれだけ非効率的であっても少しは残るのだろう。