死にたいはずなのに死ねない人へ~ 死ななければならないと感じている人へ
死にたいのになぜ死ねないか あなたの死にたいは本当ですただ、
死ぬことを諦めないといけないほど人生は重い
逆に人生の重さが死より軽い人が死を選ぶのでしょう
希死念慮、その裏側にはどちらがあるのか。
本当は全身全霊で生きたかった自分には可能性があったはずだそういう人はまだ人生の重さを捨てきれてない
生きる勇気など持たなくて良い あなた達は必死に宙吊りにされた車が全力でアクセルを踏みタイヤを空回りさせる
エネルギーはあった理想もあった思い描いたビジョンもあったでも叶わなかった道を走れなかった、目的地が定まる事もあるいは辿り着くことも寄り道も叶わなかったそういう人に人生の重さと死にたい自分が訪れるものだと思います
そんなただただ消耗をしてきたそんな人間に生きる勇気だなんて 出来るとしたら良いところ諦念です諦めることです まずは死ぬことを諦めてみませんか そうした瞬間とても人生は重く苦しくその解像度が上がっていく
でもそもそもその「苦しい自分」とは死ねなかった自分の非対称性という構造で成り立っているのです
皮肉ですよね 私は「あなたは本当は生きたかったんだよ」そんな無責任で低劣で人生の重さを理解していないあなたの今までの思考、背景、環境、歴史、その全てのプロセスを無視するようなことは言いません あなたは本能の被害者です
というか死ねたら万々歳です それほど生きるのが苦しいのですから
そして次に、
「生きることを選択した」という自己認識の罠に落ちないで下さい
死ねなかった。
だから生きることを選んだのだと、自分に錯覚させる。
だがその瞬間、自分の中の整合性が歪み始める。
「本当に望んでいたのか?」という違和感が、蜘蛛の巣のように全身へ絡みついていく。歩を進めるごとにどんどん息苦しくなっていく
あなたは生きることを選んだのでは無い死ぬことを諦めただけだ
死を考えるほどですあなたにとってあなたの人生は軽々しく生きることを選択するなんて言えるほど軽いものでは無いはずです
ただ死ぬことを諦めた その上で前を何も考えずただ佇む様に今を見てください 無理に歩みを進めなくても良い一歩一歩最初は重さを噛み締める様に最低さを噛み締めるように歩む
これが幾度の自殺未遂の果てに私の辿り着いた結論です 今日出た結論ですこの先は私にも分からない そんな自分を誉めもしない蔑みもしない余計な指向性を与えない ただそうあるだけ
死ぬか生きるかはこの先で人生の重みをさらに踏み締め体験した上で決めます
「死ぬことを諦めたんだから仕方ないじゃないか」 何があってもこれにつきます