拘ってしまう「教えるもの」の無謬性 | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

交流分析やサイコドラマ・心理学について書いています。また、好きな本の引用など。

遠足で「お茶買いたい」認めず、小1女児熱中症 「過失なし」と全面対決する学校の言い分
https://www.sankei.com/article/20240409-7I5X5D33TFKJVB7ME6IV3GH3DU/

(抜粋、固有名詞削除)小学校の遠足中に1年生だった女児(8)が茶の購入を希望したのに、教諭が認めなかったため帰宅後に熱中症で救急搬送されたとして、女児と両親が、学校を運営する市に計220万円の損害賠償を求めた訴訟が大阪地裁で係属中だ。

双方の一致点
女児の体力面に不安があった母親が遠足前日、水筒の茶がなくなれば持参する金で購入し、女児が異常を訴えた場合は連絡するよう申し出た▽女児が遠足の帰路に茶の購入を求め、「ママを呼んでください」と担任教員に依頼した▽学校側がいずれも聞き入れなかった-ことだ。

食い違う点
女児側は、めまいなどすでに熱中症とみられる症状があったとするが、学校側は「熱中症を疑うような状況・状態はなかった」と強調する。

学校法務に詳しい弁護士:学校現場で起きたことは、直接的な証拠が少なく事実認定が難しい面もあり、「教員や児童の証言と、証言を支える間接的な証拠が重要になる」との見方を示す。

係争中のことは、新聞記事を読んだだけの全くの赤の他人が軽々に判断できないことと思っています。
関心や印象をもつのは当たり前ですが、どちら悪いとかは断定できる立場にない。
基本的に、どちらも自分の都合の良い「事実」を話す権利があり、心情がある。
また、記事に書かれていないような詳細もあるでしょうから。

その上で、自分はあまり学校側に肩入れできない気持ちになりやすい。
学校は「教えるもの」と「教えられるもの」の関係があり、
「教えるもの」の無謬性(誤りが含まれていないということ)に拘ってしまうことがあるため。

近年特にひどいと思ったのは、大津いじめ自殺事件、旭川女子中学生いじめ凍死事件
教育委員会や学校の関係者の言動や、事件の隠蔽を行うさまは、本当に情けないし、居場所を失い命を奪われた子供らが可愛そうでならない。

今回は大事に至らなかったのよかった。
再発防止にむけて、改める部分があれば、学校・両親・子に関わらずに認めてほしい。

公平性のため、

理不尽なクレームに疲弊する教育現場 保護者対応専門部署の設置で教員離れに歯止め

産経新聞

 

こころをリフレッシュするため、聞き流しメンタルヘルスなんてどうでしょう。