自分の過去と未来を知ってしまっている | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

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交流分析やサイコドラマ・心理学について書いています。また、好きな本の引用など。

ダウンズ夫人にしてもピンキー氏にしても、自分が何ものであったかということについて、確信を持ちすぎているのだ。彼らは、自分の過去と未来を知ってしまっているのだ。彼らに、私たちがもっと普通に持っている不確実性というものが欠けているのだ。

この不確実性が自由にとって本質的なものだし、またそれは私達と私達の過去との間の関係にある種の流動性と柔軟性を示しているのだ。この不確実性の不在が、ダウンズ夫人とピンキー氏の過去と未来を固定化してしまっているのだ。


(中略)

ダウンズ夫人とピンキー氏は過去を固定化することによって未来を固定化させてしまっている。彼らは過去にしがみつき、それによって不確実性を減少させる。しかしそれだからこそ、彼らは、それぞれ罪の意識を持った者として、あるいは感傷的な者として、存在している自分を発見するのだ。

自分がこれまでそうでなかった者になっていく自由を持たず、またかつてこれから自分がそうなっていくであろうとは思っていなかったものになっている、とする自由を持っていない自分を発見するのだ。

(「現象学的心理学」E.キーン)

誰でも、経験という過去を持っています。そしてのその経験から得られたもの(パーソナリティ、技術、人間関係など)を糧にして「今」の自分があると考えます。

過去を思い出すとき、それが「後悔」に彩られていると、今の私は、未来を「恐れ」てばかりいることでしょう。罪の意識を持ちながら存在する「今」しかありません。

また、過去を「追想する」ばかりでいると、未来は同じことが起こるように「願望する」ことしかできなくなってしまいます。感傷的なものとして存在する「今」しかありません。

過去や経験をあまりにも一面的な解釈で意味づけする必要はないのです。

例えば「成功」と「失敗」についても、原因の帰属は「課題の難易度」「運・不運」「自分の能力」「努力」と大きく分けても色々あります。自信家は自分の能力のゆえに今の「成功」あると考えますが、そうとは限りません。確かに「能力」に拠る部分が大きいとしても、運がなければ成功しなかったかも知れない、という考えも成り立ちます。

逆にあるときに「運悪く失敗したこと」を自分の能力や努力だけに原因帰属させてしまうと、未来にも能力不足・努力不足を原因として「失敗を続けてしまう」かも知れない、と恐れや不安感が強くなってしまうこともあるでしょう。

さて、過去にとらわれているとき、過去を再度見直したり、解釈を変えたりすることは可能です。それは過去を改変することではなく、事実は事実としてうけとめ、今までの感情で彩ることをやめることです。思いこみを排して眺めてみるということです。

そして、未来は過去を繰り返すためのものではないのです。未来には「不確実性」があり、自ら「希望」する行為をすることもできます。付け加えるなら、過去と未来は繋がっており、本来は一面的でない豊かな過去が、未来の「不確実性」に耐えうる自分を育てるのだと私は考えています。

さて、新しい年がきました。あなたは何を希望し、どうやって一歩を進めたいと考えていますか。
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