口笛を吹く
ピアノとヴァイオリンが ほんとうに好きなのに
私はほとんど練習できなかった
これまであわただしい生活のために
口笛を吹く技術を磨く暇しかなかった
まだ名人と言えるほどの腕ではない
芸術は長く人生は短しだ
だが口笛を吹けない人びとを気の毒に思う
口笛は私に多くのことを与えてくれたから
それでずっと前から真剣に決心した
この技術に一段一段と上達することを
そして最後にその域にまで到達したいと思う
自分と君たちの全世界を一吹きで無視できるまで
(ヘッセ)
私が保育所に通っていたころ昼寝の時間が嫌で、その時間に行われていた「ピアノ教室」に通っていました。だから、小学校に行くようになると辞めていました。
今まで、趣味を含めて色々な「習い事」をしてきましたが、どれもこれも名人には至ってません。パソコンも多くの機能をわざわざ切って使っています。もう発達してもらってもついて行けませんねぇ。
自分の中途半端さを披瀝するのとは逆に、ここでは誰もが専門家であるということを書いてみようと思うのです。
私は心理学を学び、精神科に福祉職として勤め、介護保険の施設・在宅のケアマネに従事した経験があります。だから、全く知らない人よりは、それらの分野について知っているわけです。でも。心理学をずっと学んでいる人、ケースワーカーとして働き続ける人、ヘルパーから介護福祉士になりケアマネとして活躍している人には及ばないわけです。
しかし、心理学の知識を介護にもってきたり、ケースワーク的な手法を心理学に使ったりすることができる。そして、このニッチな専門がこのブログになっているわけです。
では、一般のサラリーマンはどうでしょう。考えるまでもなく、その業界に精通し、成績を上げる専門家です。
主婦は? もちろん専門家です。料理を手早く美味しく作る。同じ料理が続かないように栄養が偏らないように考える。安くて、新鮮な食材を用意する。
ただ、そんなことだけではなく、誰もが専門家だと思うのは、自分の目の前のことをより正しく、興味を持ってすることができる能力だと思うのです。
例えば、ヘルパーからケアマネとなり、自他共に認める介護の専門家になっても、相手のことを考えず、より適切な介護をえらばず、集中ができていなければちょっとした不幸でしょう。
主婦も、食事をつくるときに何も楽しみを感じていなければ、よりよくあろうとしなけば、家族と話すことができなければ専門家であったとしても、宝の持ち腐れとなってしまいます。
自分が継続的に行う目の前のことに、真剣に楽しみをもって向かい合おうとするとき、その専門性は、評価する自分や相手をものともせずに没頭する楽しみを与えてくれます。次はもっとうまくやろうとか、どうやって驚かせてやろうとか。結局、まわりまわって自分と相手との世界に強く繋がっていくでしょう。
継続は力かもしれません。しかし、継続は怠惰になりやすい。
石の上に3年で苔むせば良いでしょうが、カビを生やせることもあるでしょう。
次はもっとうまくやろうという専門がだれにでもあると思います。
全世界を吹き飛ばさなくても、小さな「今」に世界を見ることもできるのではないでしょうか。目の前のことに集中するとはそのようなことだと思います。
相手に対する、小さな言葉一つにも工夫することができるのですから。
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