「正しさ」は一致しない。前編 | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

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交流分析やサイコドラマ・心理学について書いています。また、好きな本の引用など。

人の話しを聞く時、真の断定と偽の断定をとを見分ける方法を知っていたとする。またいつでも真の断定のほうが偽の断定よりよいことを知っていたとすれば、何が「真」であるかを論争する必要はない。
不幸にして、こういう状態に達することは容易ではない。それには多くの理由がある。


(「一般意味論」A.ラポボート)

人の気持ちを理解することは難しい。そして、人と人が「ある問題」について一致することも難しい。何が「正しい(真)」のかについて一致することを疎外する要因をいくつか挙げています。

1.人は何が真であるかに同意するよりも、その「論争に勝つこと」を望む場合が多い。

これは、言うまでもないですね。ディベートも基本的には、立場の違う相手を「論破」することが目的です。それは、真か偽かは関係がなくなります。


2.人は自分自身について語りながら、それを外界の事物について語っていると思い違えをしている場合が多い。

例えば、事故に遭ったとしましょう。その時に「相手がぶつかってきた」という「外界の事物」について語る。けれども、それは「自分は悪くない」と言っているだけかもしれません。「正しさ」を証明するには、第三者の証言やタイヤ痕などの物証が必要です。


3.人は真と偽とを見分ける方法についてそれぞれ独自の意見をもっているか、さもなければそのとき流行している考えに単に同調しているに過ぎないかである。

その時々に流行の考え方(世論)があります。世論は多数の考えですが、それが正しいかどうかは別です。


4.「真の」説明がつねに「偽りの」説明より歓迎されると皆が思っているわけではない。

「子供はコウノトリが運んでくる」「子供はキャベツから生まれる」
子供の性教育で、理解度に合わせた説明をしますね。また、「嘘も方便」という言葉があります。これは、確か仏教を普及させるためについた「嘘」を正当化するときに使った言葉です。

5.人々はものについての断定を見解の問題と錯覚しやすい。

いくつかの事例や経験・信念において、自分の意見は正しいと信じている状態です。妄想の条件の中に「100%の確信」というものがあります。違う意見は見解の相違や、例外として扱われ、彼の確信は歪みません。


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