「ブラウザは何?」「ブラウザ?」 | 心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

心模様とガラス玉演戯(役立つ心理ポイント)

交流分析やサイコドラマ・心理学について書いています。また、好きな本の引用など。

いつも優れた行動、申しぶんない行為、目ざましい行いをしなくてはならない、という考えにとらわれてはならない。

ものごとを完璧にやりとげることよりも、とにかくやること、あるいはなるべく上手にやることこそ、目標にすべきである。

他人の行動を気にかけるのではなく、自分自身の行為を改善していくよう努めてほしい。関心があるなら、芸術や球技や仕事のうえで、自己改善をぜひ追求していこう。

しかし、そこで業績をあげたからといって、けっして自分が前よりも優れた人間になったという幻想を抱いてはいけない。自分の選んだ領域で成功をめざし、大きな希望をもって努力しよう。

しかし、失敗したとしても、それはもちろん望ましいことではないが、決して恐ろしいことではなく、自分の人間としての本来的価値には何の影響を及ぼさないことを心にとどめておくことである。

(「論理療法」)

勉強でも、仕事でも、趣味でも、何かを継続的に続けていけば、少しでもうまくなりたいと思うのは「ワリ」と自然なことだとおもいます。

ただ、興味や得手不得手があるので、その進捗は人それぞれです。私事なのですが、親戚に全くPCに興味を持てない女性がいます。けれども、子供をがうまれると、デジカメを買い、それを使うためにプリンタとノートPCを購入しました。

でも、全くPCに関心が持てません。最近Internet Explorerの不具合が発表されました。(すでに修正プログラムが出ています)。で、そのことを話そうとして「ブラウザは何?」と聞きましたが、案の定「ブラウザ?」と聞き返されました。

私は親切な方(?)なので、一応説明しましたが、相手が理解したかどうかは分かりません。

さて、自分を変えることと、相手を変えることはどちらが容易でしょうか?

もう少し具体的にしましょう。認知症を持つ人と、介護者が関係を持ち、あること(入浴、着替え、排泄など)を為そうとして失敗するとき、どちらの行動を変えて結果を得ようとしますか?

もちろん介護者ですよね。それは、優れているとかではなく、現状においてより柔軟性があるということです。方法を変えたり、対策を練ったりして、うまく結果を出すには、柔軟性が必要です。また、1回失敗したからといって諦めてしまうのも柔軟性の欠如ですよね。

ある家庭で、被介護者が排尿したときに、どうしても床を汚してしまうということに悩んでいました。その都度拭き取るのはもう飽きたと・・・。色々試していくうちに、ペット用の防臭シート(?)をマット代わりにトイレに敷くことで、労力がずいぶんと減ったとのことでした。

もし、家族に柔軟性がなければ、相手に強い怒りを繰り返し感じながら生活していたことでしょう。自分が楽ができて、相手も文句を言われないという結果を生み出したのです。

さて、冒頭の親戚の女性。

たぶん、これから何度か私はPCについて説明したり、必要に応じて相手のPCの設定をしたりするでしょう。けれど、PCについて「理解して貰おう」とは思わない。困ったときに手伝ってあげられればそれで十分です。


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