俺の心の状態と母の状態はリンクしている
母の自傷行為は何かができない自分はダメ、人に迷惑をかける自分はダメだという自分否定をしている俺の心の現れ
人の価値は何が出来るとか出来ないとか関係ない
認知症になって頭がおかしくなってもお母さんはお母さん
言葉ではそう言えるけど、心の本音はまだそう言えていない
まだまだ人を評価してる
自分をジャッジしてる
今ココ意識で生きるというのは、判断せずただ観察
ニュートラル
自然体
全てのコントロールを手放す
左脳の最後の砦は把握する事らしい
左脳はジャッジ、分断、過去と未来
右脳は受容、繋がり、今
調和、受容、一体感、在る、緩む
結果にこだわり過ぎてる
過程
ブッダは言った
プレゼントは受け取らなければその人の元に返る
嫌な事も判断せずただ観察
そこに愛はあるんか?
一つ一つの動作に愛を込めて
愛の自分を観察
自然体の自分を観察
今どこに意識を置いてる?
愛に基づく行動に退屈はあり得ない
「退屈は、心が閉じたときに訪れる
愛は、心を開いたままにしてくれる
開かれた心には、世界が絶えず語りかけてくる
だから、飽きることなんてない」
(ChatGPT作)
(連日のトラウマ体験で頭がおかしくなったわけではないです)
(ここ数日母の状態は穏やかです)