はじめに。

運命は、変えられない。
途中変更も出来ない。

人生は、100%決まっている。

だけど、それが、どうした?

誰かが誰かを憎んで、
殺してしまった。

それも決まっていたから、
仕方ないで終わらせるのか?

仕方ないとは、ならない。
人間の色んな感情が出る。
色んな思いが出る。

当時者もそうでない人も。
身近な関係者であれば、
尚更、そうだと思う。

小さな子供が事故で亡くなる。
病気で亡くなる。高齢者を
騙す詐欺師がいる。
幼児虐待をする親がいる。

これらが、
決まってるから、
仕方ないとなるか?

ならないはずだ。

決まっているとして、
何故、決まっているのか。

何故、決まった運命を
決められたまま、
歩んでいるのか?

通りたくない道もある。
もっと楽で、もっと良い道もある。
逆に、もっと過酷で困難な道もある。

何故、この道を、その道を、
人は、それぞれ決められた、
レールの上を決められた通りに、
歩んでいるのだろう。

人の道に外れて外道と言いますが、
どのような極悪非道の道であっても、
人生のなどシナリオのレールからは、
外れていない。外れようがない。
何故なら決まっているのだから。

こんな事は、考えない方が、
いいのかもしれない。  

考えた所で答えが、
出ないかもしれない。

だけど、その切れ端だけでも、
知りたいと思い模索している。

人生が決まっているなら、
寿命も決まっている。

長生きする人がいて、
短命の人がいる。

長生きしたとして、
そこに何の意味がある?

短命の人生の方が、
中身が濃い事もある。

輪廻転生やカルマや因果応報と
呼ばれるものがある。それなら、
いっその事、一人一人の人生を
千年ぐらいにして、あの時の
仕返しとやっていた方が、
分かりやすいと思う。

輪廻転生して、
忘れた頃に過去の罪が
返ってくるでは、恨みが、
また恨みを呼ぶ事にもなる。

怒り、恨み、憎しみ、憎悪。

人生は、これらの感情を
なくす為の修行なのか?

その要素もあるのかもしれない。 

恨む者は、恨まれ、
憎む者は、憎まれ、
奪う者は、奪われる。

前世などの事が、
関係しているのか?

大変は、大きく変わる時。
変態は、昆虫の場合だと、
成長に応じて姿形を
変化させる事とある。

蛹が蝶になり、
幼虫が成虫になる。

人間よりも、
進化しているのかもしれない。

でも、人間も変化させる為には、
色々、体験する必要が、
あるのかもしれない。

何故、それを体験する事に、
なったのか?こっちの方が、
重要かもしれない。

自分を深く見る。観る。

人の振り見て我が振り、
直せと言いますが、

人は、自分の中を相手を通して、
映し出している鏡に過ぎない?

その要素もあると思う。
だとしたら、嫌な人は、
自分の中にある汚く醜い部分を
曝け出しているのかもしれない。

いずれにしても、
何かに気づく必要があって、
それを体験している可能性がある。

浅はかな気づきや、
考えでは、奥まで辿り着かない。

二重人格と言う言葉がありますが、
人は、誰もが、二重人格だと思う。
自分の人格だと思っている、
もう一つ奥に、もう一人の人格が、
眠っているような気がします。 

この奥にいる人格は、
外部から何か強い刺激がないと、
居座っているだけで声も出さない。

幼少期の体験や環境が、
人格を作りやすい要素と言いますが、 
それは、外人格で、内人格は、
3歳未満の時期に既に存在していた。

恐らくは、生まれた時に、
既に、存在していた人格。
 
例えるなら、古い時代の猫。 

この猫は、輪廻転生を越えて、
存在している人格かもしれない。

だけど、対話とか、
会話は、出来ない。

岩のようにどっしり、
静かに在る。普段は、
気づきもしない存在。

巨大な岩のようでいて、
また、小さな重鍾のようでもある。

この人格に気づく為には、
刺激が必要。それも、
かなり過酷と思えるような刺激。

この人格、このネコは、
記録員や調査員のような
役目もあるのだろうか。

家族の表と裏の顔。

今世でどうしようもない、
一生を過ごした人が、
来世、どうしようもない事になれば、
前世、ああだったからしょうがない。

そのように見ているかもしれない。
 
逆に、今世も、
前世が関係しているなら、
そう言う事なのだと思う。

前世、今世、来世、
自分がやった事が、
自分に返って来る。

だけど、決められているなら、
決まっている事をやっている。  

残酷ですが、殺す人も、
殺される人も決まっている。  

身に覚えがない?
覚えがあるから、
それを体験している。

自分の中のネコが知っている。

吾輩は、ネコである。
名前は、まだ、ない。