ずっとブログで、苦しみと向き合う大切さ、自分を見つめる大切さをメッセージしてきました。
苦しみは、ただ苦しむだけでは意味がなく、苦しみを通じて気づいた時、苦しみが苦しみで」なくなる。。。ともメッセージしてきました。
でも、苦しいとか辛いのはイヤですよね。
一体、何のために「苦」が存在するのでしょう?。
マザーテレサは教えて下さっています。
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苦しみは、清くなるため、聖化するため、キリストに似た者にするためにあるのです。
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心がクリアーに、心が清くなっていくためと教えて下さっています。
心がクリアーってどういうことでしょう???
心が清く。。。この反対を知ることからも分かります。
マザーを崇拝し、「置かれた場所で咲きなさい」の著者・渡辺和子さんは、このようにお話なさっています。
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「してもうらのが当たり前」という気持ちは人を醜くする。なぜならそこには「感動」がないからであり、不平しか残らないからである。(渡辺和子)
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裏返せば。。。
「してもらって有難い」という気持ちが、人を美しくする。
なぜならそこには「感動」があるからであり、「感謝」しか残らないからである。
自分が苦しいとき、困っているとき、助けてもらった。。。
「苦しいんだから、困ってるんだから、助けてくれるのは当たり前でしょ!」
ここには、助けてもらった「感動」はなく、不平不満しか残っていません。
ましてや、恩返ししたいと思う人の気持ちは理解できないでしょう。
苦しいとき、困っているとき、助けてもらった。。。
「ありがたい。本当にありがとう。このご恩は忘れません。」
助けてくれた人が、困っているのを知ったとき、助けるでしょう。
「感動」が「癒し」を起こし、心を清くし、「感謝」が芽生える。
これが「苦」の存在価値だと思います。
お互いが感謝の気持ちで関わり合えば、平和だから。。。
みんなが愛し合え、幸せだから。