最近まで、ずっと思い出せないでいたことがありました。


それは・・・


1才の時、腸チフスで、生死の境をさまよった時のことでした。


まさに、臨死体験。


今朝、喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、ふと思い出されました。


医師から、「今晩がヤマです」と言われたこと。


両親が、腹をくくったこと。


加えて、この時の両親の気持ちが、自分の気持ちが、リアルに思い出されました。


「死ぬな、さとし。死なないでくれ」。


と、こころの中で叫ぶ両親。


私は・・・


「みんなのために生きなきゃ!」


強く思ったのでした。


峠を越えて、命が繋がった時の、両親、医師の顔・・・


ホッとし、喜んでいました。


「ありがとう」と言ってくれていました。


この時、


「僕が、生き抜くことが、みんなを喜ばせるんだなあ」

「よし、生きよう!」


「自分が生きることが、みんなを喜ばせることになる」


1才の臨死体験で、気づいていたのだと、今朝気づき、実感しました♪。


「みんなのために、僕は生きるんだなあ♪」


「みんなのために、僕は生きているんだなあ♪」


「僕が生きてると、みんなが喜ぶんだなあ」


「みんなが喜ぶと嬉しいなあ」


生死の境をさまよっている間、


医師も、両親も、打つ手がもはやなく、


私の生命力に託してくれていました。


両親も、医師も、僕の生命力を信じてくれていたんだと、気づきました。


こんなに信じ、


こんなに愛してくれてるんだなあ。


「みんなのために、生きたい」


「みんなのために、生きよう!」


強く決心したのでした・・・1才の臨死体験で。


当時の両親の気持ちは、痛いほど分かります。


私自身が、息子を亡くしているからです♪。


「変わってやれるなら、変わってやりたい。この命、息子にささげたい」


と、思ったものです。


「愛するもののためなら、自分のすべてを投げ打ちたい」


愛するって、こういうことなのだと実感したものです。


亡くなった息子は、最初から、早くにあの世へ行く予定でした。


たった12日間の人生を予定して来たのでした。


私に、「楽しむ」ってことを教えるために、生まれてきてくれました。


息子は言ってくれました。


「楽しかったよ♪。いっぱい愛してくれたもん」って。


俺は、息子を、楽しませたのか・・・と気づきました。


ただ、ただ、毎日、仕事を早く切り上げ、


病室へ走り、


保育器の中にいる息子の手を握り、


膨れ上がったお腹をさすり、


それだけだったのに・・・


これが、息子を楽しませていたのかと、知りました。


息子は、私の前から消えました・・・あの世へ。


息子も私を愛してくれていました。


いまも愛してくれています。


息子からすれば、「愛する私の前から消える」という形で、


愛を表現してくれたのだと気づきました。


これも、愛するという一つの形です。


息子を誇りに思います。


両親を誇りに思います。


みんなのために、生きるって・・・


みんなのためって、何でしょう?。


「自分のことより、自分以外の人のために、喜んで尽くすこと」。


自分以外の人が一番目♪。


自分が二番目♪ってことなのだと。


与えれば、与えられます。


与えられたら、与えられたものを与えるのです。