スピリチュアルを実践するには、神様のやり方を知るのが一番です。
私の経験から掴んだ、神様のやり方を紹介します。
○神様のやり方1
スピリチュアルな視点での気づきをし、行動に移したら、人としての喜びを与える。
○神様のやり方2
スピリチュアルな視点での気づきをし、実行がまだだったら、やってみろ!とお試しが来る。
○神様のやり方3
スピリチュアルな視点での気づきが不十分だったら、
スピリチュアルな視点での気づきをしていなかったら、
スピリチュアルな視点での気づきを避けていたら、
まず、人としての喜びを絶つ環境をセット。
苦しみを感じさせ、心の揺れを引き起こす。
○神様のやり方4
人としての喜びを絶つ環境をセットしても、
”あきらめる”、”心を落ち着かせる”など、心の落ち着き・平安を求め続けている場合、
更なる苦しみ、もしくは喜びを与え、心を揺れ動かす。
○神様のやり方5
やり方4でも、
スピリチュアルな視点での気づきが不十分だったら、
スピリチュアルな視点での気づきをしていなかったら、
スピリチュアルな視点での気づきを避けていたら、
大怪我、大病、事故、自分にとって大切な人・ペットを失う等、もっと苦しみを感じる環境をセットする。
○神様のやり方6
やり方5でも、
スピリチュアルな視点での気づきが不十分だったら、
スピリチュアルな視点での気づきをしていなかったら、
スピリチュアルな視点での気づきを避けていたら、
絶望を最も感じる環境をセットし、もっと苦しみを感じる環境をセットする。
ホスピス患者さんは、このレベル。
医療従事者は、このレベルの苦しみを感じ乗り越える器が必要であり、本来持っている。
神様のやり方1~6のやり方を繰り返す。
これで分かるでしょう。
神様は常に、「心が揺れるようにする」。
心の平安を求める努力は、スピリチュアルな成長を妨げるのである。
いま、「これに気づけ!」という時期、自分のペースは無視され、立て続けに心を揺らされる出来事が続く。
気づいてホッとしたかと思いきや、すぐにお試し。
お試しをクリアして嬉しいことがあったかと思いきや、間髪入れず凹む出来事。
また気づいて実行しクリアしたかと思いきや、また凹む出来事。
ホッとなどさせてくれない。
私の場合、10月19日から昨日まで10日間、神様のやり方5、6を連日受け続けている。
10日で5キロ痩せた。
こんな経験をしていると、
ホッとして、ゆったりしたい、楽したい、心を落ち着かせたいなど、
心の平安、安心、安定を求め続けることはいけないのだと、何回でも思い知らされる。
心の平安は、あくまで「苦しみを感じ、気づき、乗り越え、反省を実行に移すためのエネルギー補給」なのだと、思い知らされる。
安定、安心とは、変化し続けることなのだと、思い知らされる。
知ってはいたが、いざとなると実践できないのは、結局分かっていないのである。
「苦しみ」の意味が。
更に神様のやり方。
○自分がどんなに疲れていても、どんなに限界だと感じていても、神様が「まだ大丈夫!」と判断したら、更に試練を与え続ける。
これで分かるだろう。
こころの揺れを落ち着かせようとすることは、スピリチュアルな成長を妨げる。
感動とは、「こころの揺れ」のことである。
苦しみを感じたとき、
苦しみを感じないようにする努力は(あきらめる、他人事に捉える、罪悪感等の自己否定など)は、気づきを妨げる。スピリチュアルな成長を妨げる。
苦しみを感じないようにする努力は、厳しいようだが、努力していないのである。
従って、そんな努力は報われないのである。
○神様のやり方7
やり方6でも、
スピリチュアルな視点での気づきが不十分だったら、
スピリチュアルな視点での気づきをしていなかったら、
スピリチュアルな視点での気づきを避けていたら、
人は神様の意志に反して、自殺をする。
もしくは、寿命を迎えさせる。
そして、あの世で猛反省させられるのである。
この世の基本は、苦しみです。
苦しんでいる人に、喜びや安らぎを与えることもあります。
それは、苦しみだけでは、苦しみに慣れてしまい、「心の揺れがなくなるから」です。
苦難を乗り越えるパワーを与えているのです。
心の安らぎに安住していては、苦難を苦難を感じなくなる。
成長なし。
これが、神様のやり方です。
「こころを揺らす」。
これで気づきなさい。
「苦しみを与える」ことも愛なのだと。
スピリチュアルな成長という視点に立ち、「苦しみを与える」ことが、自分にとっても、相手にとっても、いま必要である時は、「苦しみを与える」のが、スピリチュアル実践なのです。
苦しむために生まれてきたのです。
否定され続け、苦しいことばかり・・・だから、最後はあきらめる・・・
これでは、厳しいようですが、何も成長していません。努力していません。
苦しみを感じ、気づき、反省し、行動する・・・これで初めて報われるのです。
「ごめんね」と謝っても、それは、気づきも反省もありません。
口先だけ。
スピリチュアルな視点で行動しなさい。
安らぎばかりを求める人には大きな試練がきます。
それは、苦しみを与えることです。
自己評価の低い人は、自分に苦しみを与えても、何の気づきもありません。
それは、スピリチュアルな努力にあらず。
人にスピリチュアルな視点で、苦しみを与えることが、成長につながります。
相手に苦しみを与えなさい。
自己評価を下げる・・・苦しみから逃げている証です。
好き嫌いで決めてはダメだと分かるでしょう。
神様のやり方1~6を何度も読んでください。
自分の人生を思いだせば、スピリチュアルな成長につながる選択をしたかどうかが分かります。