「傷つかないように、傷つけないようにすることは、人をダメにする」。

前回のブログの続きです。最後まで是非読んで欲しい。

主婦との話の中で質問をしました。

「もし、子供がいなかったら、ご主人とはどうしますか?」と。

答えは、「別れます」。即答だった。

これが本音であった。

子供がいることを言い訳に、ご主人と向き合っていなかったのである。

夫婦を通じての「連帯責任・連帯の学び」から逃げていたのである。

別れたら、別居したら、子供が傷つくいいながら。

これを、「子供に逃げている」といいます。

子供はすべて分かっているのである。

実は、男だって分かっているのである。女房が自分に惚れているのか否かを。

いくら隠しても、セックスの時に分かるのである。

惚れてもいない人と一緒に居ること自体、ご主人に対する、子供に対する裏切りである。

「傷つかないように、傷つけないようにすることは、人をダメにする」。

このような夫婦は沢山いる。

この方の場合、仕事もしていたが、だんだん集客が落ちていた。

集客が落ちれば、仕事の時間も減る。

必然、家庭にいる時間も増える。

必然、ご主人と接する時間が増える環境になるのである。

別のケースだが、看護師をしていた主婦が、ついに身体を壊し仕事を辞めた人がいる。

この人も、ご主人との関係は冷めていた。

身体も良くなり、働きたいのに、やる気が出ないとのこと。

これも、ご主人と向き合う「連帯責任・連帯の学び」から逃げていると、やる気が湧かないのである。

話は戻って、

子供がいるから、子供の面倒をみることで、ご主人と向き合わずに済む環境がある。

まだ逃げられるのである。

厳しいようだが、事実だからしょうがない。

更に質問した。

「ご主人とうまくいっていますか?」

「最近、ぎくしゃくしています。」

ご主人との関わりを通じての学びから避けていると、仕事もうまくいかず(仕事に出かける行動まで進まない人もいる)、プライベートまでおかしくなってくるのである。

それでも、まだ子供の面倒を観るという逃げ道がある。

この方の場合、借金問題があった。

ご主人に借金クセがあって、なかなか治らないと。

質問した。

「奥さんもお金にルーズじゃありませんか?」

「はい、私もルーズです」

「ご夫婦とも食べるのに苦労したことないですね?」

「はい、ありません」

食べるのに苦労したことがない・・・厳しいようだが、あまちゃんなのである。

「傷つかないように、傷つけないようにすることは、人をダメにする」。

「ご主人は何のために借金を?」

「会社の後輩におごったり、家族の外食費に。」

無駄なお金の使い方である。

「ご主人は見栄っ張りですね?。」

「はい。」

「お子さんも見栄っ張りですね?」

「はい。”いい人”をやっています。」

子供は親を観て育つ。

親がそんなつもりはなくても、そんな子に育てるつもりがなくても、親と同じように子供は育つのである。

親が反省するために。

”いい人”とは、相手にとって都合のいい人ということだ。

つまり・・・厳しいようだが、”奴隷”である。

子供を傷つかないように、傷つけないようにすることは、子供が”奴隷”の道を歩ませるのである。

奴隷とは、すなわち、誰か支配者に従わなければ生きていけない人である。

誰かに守ってもらわなければ、誰かに従っていなければ、誰かに判断して許可をもらわなければ、行動できない人間になるのである。

親が、”奴隷”だから、子供も奴隷への道を歩むのである。

親自身も大して食べるのに困らず、”守られて育った”から、奴隷になっているのである。

「いけません!」「こうしなさい!」「言うことききなさい!」を否定され続けて育った人も、奴隷の道を歩む。

厳しいようだが、これも、あまちゃんなのである。

実は傷ついてはいるが、傷ついたままで気づきが浅いのである。

私自身がこれに当たる。

「傷つかないように、傷つけないようにすることは、人をダメにする」。

更に質問した。

「何故、別れないの?」と。

「家庭を壊したくないから。素敵な家族を持つことが夢だったら」

「あなたは、安定志向が強いですね。」

「はい、強いです。」

「”安定・安心”と、”現状維持・守る”」を履き違えていませんか?。

「え?」

「家族を”守る・現状維持する”」と思うと、あなたはどんな行動を取りますか?。

「子供のために頑張ろうと思います。」

「あれ?ご主人のことは?」

「あ・・」

「連帯の学びを避けていますね。」

「では、家族の安定・安心を、素敵な家族を作る」と思うとどんな行動を取りますか?。

「別居します」

「もし、離婚して子供が居なかったら、あなたはどうしますか?」

「働きます」

「もし、離婚して子供を引き取ったら、あなたはどうしますか?。」

「働きます!」

「どちらが、本気になりますか?。」

「子供を引き取った時です。」

「そうですよね^^」

更に質問した。

「あなたが一番腹をくくったのは、最初の出産の時ではありませんでしたか?」

「はい。」

「命を掛けましたよね。怖い、出来ないなどの気持ちはなかったですよね?。」

「はい。」

「その腹をくくったあなただったら、すてきな家族を作るためにどうしますか?」

「まず、主人と向き合います。」

「そうですね。まずご主人としっかり向き合ってください。お金の管理は奥さんがしてください。借金があるのですから、ご主人には人におごる金を渡さぬように。それで、ご主人のプライドが折れていきます。」

「腹のくくったあなたが、ご主人に惚れているのかどうか?も見つめてください。」

「夫婦の在り方の問題、お金の問題、子供の教育の問題が同時に来ているんです。」

「先送りしてきたでしょ?」

「はい。主人とのことは特に」

「逃げられないんだよ」

「はい」

もし、初出産の自分の感覚を思いだせないほどになっていたら、まず「別居」である。

別居すれば、ホッとし、落ち着いて自分を見つめられる。

そして、惚れていなければ、離婚。

ましてや、惚れてもいないで結婚し、子供がいるからと、そのまま現状維持しているのは、伴侶・子供・自分への目に見えない裏切りである。

封建時代の結婚とは時代が違うのである。

こういう夫婦が何と多いことか。

子供が大きくなってから離婚する、という考え方がある。

熟年離婚ブームがこれだ。

経済的な理由のみの場合もある。

これも、相手に失礼、裏切り、打算である。

「傷つかないように、傷つけないようにすることは、人をダメにする」。

いまの時代、奴隷は、人を裏切り傷つけるのである。

目を覚ましなさい!

奴隷から解放されなさい!

自立しなさい!。

初出産の時、お前は自立していたのだ。

できる!。

これが、スピリチュアルな視点である。