本音ってね、ネガティブな気持ちはないんだよね。
本音にネガティブはない。
本音は慈しみのみである。
本音とは、自分を慈しむ心である。
自分を慈しむとは、自分に優しいことである。
自分によろこびを与えることである。
本音とは、正直に生きることである。
本音とは、規則を捨てた時に分かるものである。
例えば、人に迷惑をかけてはいけない・・・という規則を持っていたのなら、
人に迷惑をかけてもよいとしたとき、
自分は、自由となり、自分の本心に気づく。
裏切ってはいけない・・・という規則を持っているのなら、
裏切ってもよいとしたとき、
自分は、自由となり、自分の本心に気付く。
皆が陥るのは、自分ひとりが迷惑をかけてはいけないという呪縛から離れても、
周りの人間が、まだ呪縛のなかにいることにある。
大概の人々はここで、自分は間違っていると考え、再び自分を不自由にする。
なぜ、このように考えてしまうのか?。
周りに同じ考え方の人間がいないからである。
すぐそばに同じ考え方の人間がいないからである。
こうして、周りから、ネガティブな気持ちをぶつけられ、ネガティブな気持ちで覆い尽くされ、毒されるのである。
これが、権力を恐れる所以である。
基本は、幼少時の教育にある。
同じ人間であっても、幼少時の教育によって、様々な価値観を持ち、人は大人へ向かう。
この世に生を受けた時、人は純真無垢なのである。
純真無垢な赤ん坊が、大人のいいなりにならなければ生きていけない・・・最高の権力なのだ。
これが、権力を恐れる所以である。
純真無垢な子供が、親から受けた教育、考え方・・・これが、この世に生れて、自分の課題なのである。
この課題から自由になること・・・これが成長であり、よろこびが待っているのである。
このようなことを話すと、親への感謝が足りないのでは?という人もいるだろう。
それは、違う。
感謝に逃げているだけである。
いくら権力を恐れても、本心は消せない。
本心に生きること・・・すなわち純真無垢で生きられることを実感すべしなのである。
これを自立という。
親離れ、子離れである。
本心を押し殺しているから、願望が生まれ、実行に移し、よろこびを得ていくのである。
あきらめに逃げても、決してあきらめられない・・・これが人である。このように創っている。
より素直に。
これが、生きる意味である。
より素直に・・・よろこびを得る。
自分の中にある規則・・・これが自分を不自由にし、自分を、人を傷つけ続けるのである。
規則などいらぬ。
自由になっても生きていけるのだと、気づいてほしい。
自由になるほど、よろこびを得るんだと気づいてほしい。