いままで、幸せになりたいとやってきた、この仕事。

ずっと、しあわぜになりたいと。

学びだ、成長だ、いろいろやってきた。

いつの間にか、愛されたい、癒されたい・・・癒しが幸せだと、安心が幸せだと、楽がしあわせだと錯覚してしまってた。


癒しにしあわせはなかった。

安心にしあわせはなかった。


癒しの先に、安心の先に、しあわせがあった。

それは、よろこびだった。

嬉しい!だった。

楽しいのでも、楽なのでもなく、嬉しい!だった。これがよろこびだった。


よろこびへ目を向けよう!

癒しからよろこびへ。

ここが俺の立ち位置じゃないか。


病気が治ったら、うれしいじゃん。

好きな人と一緒になったらうれしいじゃん。

おいしいものを食べれたらうれしいじゃん。

好きなことをしたらうれしいじゃん。

好きなことをして生活出来たらうれしいじゃん。


生活にゆとりができたら、好きなことできるじゃん。

認められたらうれしいじゃん・。

必要とされたら嬉しいじゃん。

メールの返信が来ようと、来まいと、好きな人にメールすること自体が嬉しくなったら、もっと嬉しいじゃん。


不思議だよね。

嬉しい事、好きなことしよう!

長所を伸ばそう!

って、ずっと言われ続けてるじゃん。

それなのにさ、嬉しい事、楽しいことしたって、何故かいやなこと、辛い事にも出会っちゃう。


長所を伸ばしてもさ、必ずどこかで短所というか、自分の苦手な部分と出くわして行き詰っちゃう。

長所を伸ばしてもさ、好きなこと、楽しいことばかりやってもさ、どうしたって、ネガティブな部分がそのままになっちゃう。


結局、明るいフリ、前向きなフリしてもさ、ネガティブな部分ってそのまま残っちゃう。


それが、トリニティセラピーが完成して、自分にもやり始め、人にもやり始めたら、面白い事が起きてる。


人からネガティブをぶつけられるとさ、返って前向きになってくるんだよなあ。


将来への不安がどんどん消えちゃうんだよなあ。


よろこびが寄ってきちゃうんだよなあ。


誰かと一緒にいるだけで、相手にまで好影響を及ぼしちゃうんだよなあ。


モチベーションが自然と上がって、キープされちゃうみたいなんだよなあ。


それどころか、その相手に直接関わる人たちまで、好影響が起きてくるみたいなんだよなあ。


トリニティセラピーーって、何をしているかって?。

自分の身体と、こころと魂の統合。

そして、

自分と自分以外の人と、目に見えない存在たちと、時間と、お金の統合。


だからさ、癒せば癒すほど、自分も癒されちゃうし、

喜ばせれば喜ばせるほど、自分もよろこんじゃう。

いやな孤独感まで消えていっちゃう。


誰かがセラピー受けると、クライアントに関係する人たちにまで、自動的にセラピーされちゃう。


最後のネックは、セラピーを受けることに抵抗がある人。

セラピーを学ぶことに抵抗のある人。

これもクリアーしちゃってた。


喫茶店で、ただお茶して駄弁ってるだけでさ、

居酒屋で酒飲んで駄弁ってるだけでさ、

一緒にいる人に何かが起きて、すてきな展開になっていくの。

改まって、セラピーというスタイルを取らなくても大丈夫になっちゃった。


あとは、どんどん質が上がっていくだけ。

やればやるほど、いくらでも質は上がっちゃう。


こんないくらでも広がっていくよろこびを提供したいなあ。

いくらでも広がっていくよろこびをさ。