よく、「人は変えられない」と言います。
自分の実体験では・・・
「自分変われば、相手も変わる」
↓
「自分変われば、相手も変わる可能性がある」
↓
「自分変わっても、相手が変わるかどうかは相手次第」
↓
「自分の心が痛むまで、形振り構わず愛した時、相手は変わる」
こんなステップで、経験してきました。
こうして、愛とは何か?を実体験していきました。
変わるとは、「自分らしさに近づく」ことです。
愛する気があれば、相手も素敵にしてあげることが出来ました。
また、
「失うことが怖い」という話もよく耳にします。
失うのが怖いから、最初から一歩引く・・・そうすれば失った時のショックが少なくて済むからと。
恐れを無くせばいい・・・とよく耳にします。
自分の実体験では・・・
「相手からの愛をしっかりと受け入れ、感謝し、相手を愛せば、失うことはない」。
「愛をしっかりと受け取らないと、失う」。
「愛をしっかり受け取っても、感謝せず、相手を愛さず、もっと愛されたいと願うと、失う」。
こうして、愛とは何か?を実体験していきました。
こうして、愛し合うとはどういうことか?を実体験していきました。
愛は、
言葉という形。
行動という形。
表情という形。
お金という形。
プレゼントという形。
病気という形。
嫌な、辛い出来事。
嬉しい出来事。
奇跡と言う形。
相手に目に見える形。
相手に見えない形。
様々な愛の形があります。
様々な愛の形を通じて、実体験して参りました。
マザーテレサは、
「パンへの飢えがあるように、豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。
誰からも愛されず 、必要とされない心の痛みです。
与えてください。 あなたの心が痛むほどに....」
と、おっしゃっています。
私の言葉で言えば、冒頭に書いた
「自分の心が痛むまで、形振り構わず愛した時、相手は変わる」
だと思います。
マザーの言葉通りでした。
そして気づきました。
自分のこころが痛むまでに愛するということが、どれだけのパワー・エネルギーが必要なのかということを。
疲れてしまいます・・・愛することに。
それは、己が未熟だから。
それは、愛をきちんと受け取っていないからだと。
自分のこころが痛むまで愛する。。。愛し続けるには、同時にきちんと愛を受け取り続けることが必要なのだと。
マザーテレサの域には到底及びません。
愛をきちんと受け取った時、愛されていると実感し、
愛をきちんと受け取り続けた時、愛し続けられる・・・。
これが、未熟な我々人間の在り様であり、今の学びなのだと感じています。
どれだけきちんと愛せているか・・・その度合い。
どれだけきちんと愛を受け取っているか・・・その度合い。
この度合いを増やしていくことが、霊的成長なのだと感じています。
どうしたら、きちんと愛し、きちんと愛を受け取れるのか?・・・
「ゆるし」なんだと感じています。
どれだけ「ゆるせているか?」。
相手の弱さを認め、相手が反省したとき・・・
相手がミスを認め、反省した時・・・
相手が高慢さを認め、反省した時・・・
自分の弱さを認め、反省した時・・・
自分のミスを認め、反省した時・・・
自分の高慢さを認め、反省した時・・・
どれだけ「ゆるせるか」・・・
これが、こころの豊かさなのだと感じています。
ゆるしの度合い。