自分のスタイルを確立したら、精神的にも、肉体的にも、経済的にも自由になってく。
自分のスタイル・・・オイラ感覚。
自由へ向かって、日々過ごしてる^^。
自由を楽しみたくて、日々過ごしてる^^。
自由を愉しむために・・・
○自由へ向かう目標を決める方法
○腹をくくる方法
○苦労・努力を楽しみ続ける方法
この3つをし続けていけば、どんどん自由になっていく。
この3つをし続けていけば、どんどん自由になっていく。
この3つをし続けていけば、どんどん自由になっていく。
病気のときは、肉体的自由を求める。
人間関係に疲れているときは、精神的自由を求める。
お金に振り回されているときは、経済的自由を求める。
○腹をくくる
人間、腹をくくってしまえば、怖いものなどずべて消える。
例え怖くても、常に前進しつづける。
常に、前向きでいられる・・・どんな状況になっても。
○苦労・努力を愉しむ
苦を楽しめれば、やり続けられる。
楽あれば、苦あり。
失敗のない、苦労のない人生を送っている人など、一人もいないもの。
自分が未熟だから、苦労が生まれる。
苦しいときに、本当に大切なものが見つかる。
だから、苦労は大切。
苦しんだあとは、必ず喜びがあるもの。
○自由へ向かう目標を決める
目標がずれていたら、報われない努力となる。
どこに向かうために腹をくくるのか?、苦労を愉しむのか?。
行き先があるから、歩いていける。
自由へ向かうのか?、不自由へ向かうのか?。
リアルな目標を定める。
この3つをし続けていけば、自由へ向かい続ける。
この3つを、これからやっていこうと思う。
そうしたら、地に足の着いたスピリチュアルにもなるよなあ。
これが、いまの自分にできることだよなあ。
自分にしかできないことだよなあ。
3本柱ができた^^。
これまでのスピリチュアルは大きく、2つに分かれていた。
○自分を戒めるスピリチュアル系(学び、修行)
○苦しみを癒し、気持ちいいスピリチュアル系(天使系)
平成時代にこれらがマッチしているのだろうか?。
私は、中流家庭に生まれ育った。大して経済的な苦労もなく育った。一人っ子。
幼稚園からイジメにあい続けた。
大学まで行かせてもらい、一部上場企業に就職もした。
わがままはいけない!と教えられ、必死に耐え、最後は親の言いなり・・・親の引いてくれたレールに乗って生きてきた。
結婚もしたが、一人息子を亡くしたことから、人生が動き始めた。
40歳にして、初めて親にはむかった。
離婚、退職、単身北海道へ・・・。
たくさん裏切られた。
経済的なストレスにも見舞われた。
認めてもらえなかった。
恵まれた環境で育ち、大した苦労もなく育った結果、自分を失くしていたように思う。
私の会社を辞めるまでの人生・・・戦後生まれの方々に多いのではないだろうか?。
江原啓之さんのような苦難な人生を歩んではいない。
彼からしたら、恵まれた環境で育った私たちではないだろうか?。
そんな私だから、恵まれた環境に生まれた私だから、大半のみなさんの気持ちも分かる。
そんな私だから、みなさんにできることがある。
自分をしっかり持ってほしい。
私たちは、みな様々な価値観を持って生きている。
全く同じひとなど一人もいない。
何のために価値観を持っているのだろう?。
これまでのスピリチュアルは、「本当のしあわせ」のためと言われてきた。
誰もが幸せを望んでいる。
幸せの先には何があるのだろう?。
それは・・・自由だと思った。
苦しむとき、ネガティブになるとき、ストレスを感じるとき、それは不自由を感じているときだと気づいた。
嬉しいとき、楽しいとき、喜んでいるとき、それは自由を感じているのではないだろうか。
いつも、自由でいたいのではないか?。
どんな状況にあっても、自由を感じていたい。
自由を楽しみたい。
自由への追求をしているのだと思った。
自由を手に入れる努力を楽しんでみないか?。
一人では大変だ。
でも、力を合わせればできる。
「自由/自由への追求」という共通の目標に向かって、楽しんでみないか?。
どんな価値観を持っていても、否定するつもりはない。
価値観が違うもの同士が一つになれる・・・それが、「自由・自由への追求」という目標に向かうときだと思ってる。
だって、誰しもが、自由になりたくて生きているんでしょ。
人を嫌いになるのも。
ゲームが好きなのも。
気の合う人達とご飯を食べるのも。
気の合うもの同士で、仲間を作るのも。
あの世は、階層の世界。
違う階層同士の魂は、自由に行き来できない不自由がある。
この世は、肉体があるが故の不自由さがある。
この世も、あの世にも不自由がある。
自由へ向かって努力してるんじゃないかな?。
リアルに自由を実感したくて、手に入れたくて。
規則、法則があること自体、不自由だよ。
でも、これは、我々が未熟だから、規則・法則がなければ、団体生活が崩壊してしまう。
こうして、不自由を楽しめたら、それは自由ってもんだ。
そうしたら、規則も不要になる。
そしたら、自由になる。
ってことなんじゃないかなって思う。
「自由/自由への追求」という共通の目標に向かって、楽しんでみないか?。
自分のスタイル・・・オイラ感覚。
自由へ向かって、日々過ごしてる^^。
自由を楽しみたくて、日々過ごしてる^^。
自由を愉しむために・・・
○自由へ向かう目標を決める方法
○腹をくくる方法
○苦労・努力を楽しみ続ける方法
この3つをし続けていけば、どんどん自由になっていく。
この3つをし続けていけば、どんどん自由になっていく。
この3つをし続けていけば、どんどん自由になっていく。
病気のときは、肉体的自由を求める。
人間関係に疲れているときは、精神的自由を求める。
お金に振り回されているときは、経済的自由を求める。
○腹をくくる
人間、腹をくくってしまえば、怖いものなどずべて消える。
例え怖くても、常に前進しつづける。
常に、前向きでいられる・・・どんな状況になっても。
○苦労・努力を愉しむ
苦を楽しめれば、やり続けられる。
楽あれば、苦あり。
失敗のない、苦労のない人生を送っている人など、一人もいないもの。
自分が未熟だから、苦労が生まれる。
苦しいときに、本当に大切なものが見つかる。
だから、苦労は大切。
苦しんだあとは、必ず喜びがあるもの。
○自由へ向かう目標を決める
目標がずれていたら、報われない努力となる。
どこに向かうために腹をくくるのか?、苦労を愉しむのか?。
行き先があるから、歩いていける。
自由へ向かうのか?、不自由へ向かうのか?。
リアルな目標を定める。
この3つをし続けていけば、自由へ向かい続ける。
この3つを、これからやっていこうと思う。
そうしたら、地に足の着いたスピリチュアルにもなるよなあ。
これが、いまの自分にできることだよなあ。
自分にしかできないことだよなあ。
3本柱ができた^^。
これまでのスピリチュアルは大きく、2つに分かれていた。
○自分を戒めるスピリチュアル系(学び、修行)
○苦しみを癒し、気持ちいいスピリチュアル系(天使系)
平成時代にこれらがマッチしているのだろうか?。
私は、中流家庭に生まれ育った。大して経済的な苦労もなく育った。一人っ子。
幼稚園からイジメにあい続けた。
大学まで行かせてもらい、一部上場企業に就職もした。
わがままはいけない!と教えられ、必死に耐え、最後は親の言いなり・・・親の引いてくれたレールに乗って生きてきた。
結婚もしたが、一人息子を亡くしたことから、人生が動き始めた。
40歳にして、初めて親にはむかった。
離婚、退職、単身北海道へ・・・。
たくさん裏切られた。
経済的なストレスにも見舞われた。
認めてもらえなかった。
恵まれた環境で育ち、大した苦労もなく育った結果、自分を失くしていたように思う。
私の会社を辞めるまでの人生・・・戦後生まれの方々に多いのではないだろうか?。
江原啓之さんのような苦難な人生を歩んではいない。
彼からしたら、恵まれた環境で育った私たちではないだろうか?。
そんな私だから、恵まれた環境に生まれた私だから、大半のみなさんの気持ちも分かる。
そんな私だから、みなさんにできることがある。
自分をしっかり持ってほしい。
私たちは、みな様々な価値観を持って生きている。
全く同じひとなど一人もいない。
何のために価値観を持っているのだろう?。
これまでのスピリチュアルは、「本当のしあわせ」のためと言われてきた。
誰もが幸せを望んでいる。
幸せの先には何があるのだろう?。
それは・・・自由だと思った。
苦しむとき、ネガティブになるとき、ストレスを感じるとき、それは不自由を感じているときだと気づいた。
嬉しいとき、楽しいとき、喜んでいるとき、それは自由を感じているのではないだろうか。
いつも、自由でいたいのではないか?。
どんな状況にあっても、自由を感じていたい。
自由を楽しみたい。
自由への追求をしているのだと思った。
自由を手に入れる努力を楽しんでみないか?。
一人では大変だ。
でも、力を合わせればできる。
「自由/自由への追求」という共通の目標に向かって、楽しんでみないか?。
どんな価値観を持っていても、否定するつもりはない。
価値観が違うもの同士が一つになれる・・・それが、「自由・自由への追求」という目標に向かうときだと思ってる。
だって、誰しもが、自由になりたくて生きているんでしょ。
人を嫌いになるのも。
ゲームが好きなのも。
気の合う人達とご飯を食べるのも。
気の合うもの同士で、仲間を作るのも。
あの世は、階層の世界。
違う階層同士の魂は、自由に行き来できない不自由がある。
この世は、肉体があるが故の不自由さがある。
この世も、あの世にも不自由がある。
自由へ向かって努力してるんじゃないかな?。
リアルに自由を実感したくて、手に入れたくて。
規則、法則があること自体、不自由だよ。
でも、これは、我々が未熟だから、規則・法則がなければ、団体生活が崩壊してしまう。
こうして、不自由を楽しめたら、それは自由ってもんだ。
そうしたら、規則も不要になる。
そしたら、自由になる。
ってことなんじゃないかなって思う。
「自由/自由への追求」という共通の目標に向かって、楽しんでみないか?。