あなたはこれまでの

「創られた者」としての人間から

「創る者」としての自覚を有する人間へと

変化します。

 

(中略)

 

あなたは「創る者」へ変わろうとしています。

ですから

それは誰かにやってもらうことは

出来ません。

誰かにやってもらう人は

「創られた者」

だからです。

 

―― 津留晃一 『幸せテクニック』より抜粋

 

 

私の心に

革新的な変革をおこした

津留さんの言葉です晴れ

 

うーんキラキラ

 

しびれるキラキラ

 

 

幸福に生きる、ということを

知りたい、と思うとき

 

私の心に必ず浮かぶのは

“自立”“依存”

というふたつの言葉。

 

 

依存ってね

ふたつあって、

 

 

一つは、

実質的に子供が親に依存する、というような

肉体的に必要な段階でおきる依存。

 

肉体を持っている限り

これは絶対的に必要で

大切なことですよねヒヨコ

 

 

私が意識している

“依存”は

 

それとはちょっと観点がちがっていて

 

・自分のことを自分で決められない

・自分におこったことを周囲の出来事のせいにする

 

精神的な反応、みたいな感じビックリマーク

 

で、これを日々私たちは

当たり前のように繰り返しているわけですよね。

 

私は

何度も何度も鬱っぽくなるサイクルにはまっていたとき

 

“私が感受性強くて

周囲の刺激にどうしてもストレスを感じてしまうから”

“親から受けた心の傷が

癒えていないせい”

とか

当たり前のようにして

被害者めいた

思考をしていたんですねしょぼん

 

でもあるとき

津留さんのこの言葉を知って

 

いつものように

具合が悪くなった時に

 

“この現実を創っているのが

私自身だとしたら!?”

ふと自分に問いかけてみたんです

 

 

この問いをもてたとき

 

私の意識という私の宇宙に

ちいさなビックバンが起こったような――

 

小学生のときに国語の教科書にのってた

『赤い実はじけた』の

赤い実が耳元でパンッと

小さな音ではじけたような

 

(全然関係ないけど

これ、分かる人いるかなー?

最近の教科書にはこんな

プラトニックで清純すぎる

初恋物語は載ってないかな滝汗)

 

意識の拡大が起こったんですハッ

 

人のせい

親のせい

自分の性質のせい

そう当たり前のように

自動的に思考している段階って

 

自分の幸福や

自分の人生は

“自分の意志では決められない”

思い込んでしまっているんですよね。


 

まわりの状況や

人間関係について

あれやこれやと

考えてしまうとき

 

思い切って

いったん

 

「ストーップ!!

 

と心のなかで叫んで

 

私の宇宙を創っているのは

私自身

 

ということは

 

この、今この瞬間、

辛い感情を味わっているという現実も

私が創っているのだとしたら?

 

そう考えてみたら

何か違う景色が見えるかな?

 

この問いを

何度も自分に投げかけるようになってから

 

いつもいつも

ビクビクゆらゆらしていた

 

精神が

少しずつ、でも確実に

自立=心の安定

に向かって

歩き始めたんです…クローバー