ということが、今私の中で起きています。
何があったのかというと、漫画家に復帰することになり、ネームを描き上げて編集さんやクライアントに見せ、下書きや清書の段階に入って良い許可をいただいた所なのですが。
「今時の絵で描くこと」
を度々言われているのです。
確かに私の絵柄は古臭く、それはコンプレックスでもあるのですが、こう度々言われると、気持ちがだんだん落ちてくる訳でして。
更には、突如担当さんが休職されて、別の方に代わってしまいました。
しょっぱなの仕事から、いきなり担当が変わるとか、有り得ない…
いや、病気とかやむを得ない事情は仕方ないんですけど、私のタイミングとして、上から何かブレーキがかかってるな?と感じたのです。
確かに、報酬もいいし、自由なテーマ、ジャンルで描けますし、何と言っても締切、ノルマが決まってないお仕事。
ですから、描くのが遅い、またブランクのある自分としては、渡りに船な案件です。
ですが、いざ蓋を開けてみると、「今時の絵柄で」と何度も念を押され…
違和感モリモリ。
何か違うな?
何かがズレてるな…?
いや、今時の絵柄でってのは、商業漫画としてはよくある話ですし、そういう戦略で編集さんが仕事を進めることもよくある話です。
ただ、私の中の違和感、
ハイヤーセルフからの「その道は違うよ」という合図。
そしてスピリチュアルで様々なことを学んだ今の私にとって、
この違和感は無視することは、もうできません。
自分の心を偽る生き方が、もうできなくなっているのです。
だから、アレ?と思ったのです。
何故、私は退職して、漫画家復帰することになったんだっけ?と。
ここ最近の流れが、上の意図が、ちょっとわからなくなってしまったんです。
★★★
漫画家に復帰することが決まった時、次のようなインスピレーションがありました。
「今回の仕事は、次のステージへ進む為の、マス目の1つに過ぎない」
この時、私はまだ描くことへの恐怖心が拭い切れず、このトラウマ、ブロックをどう外したら良いのかと思っていました。
しかし、これらの不安は、意外な方法で解決しました。
★★★
ある日、突然、
「映画を観なさい」
という声が降りて来て、でも映画なんて興味ないから、私はこの声を無視しました。(オイ)
なのに、気がついたら、何故かアマゾンプライムで映画を観漁っておりました。
言われたから観たのではなく、何となくプライムのアプリを開いたら、観てみたい映画がそこに表示されていて、だから観たのです。
そして、幾つかの映画を観て、その中に「翔んで埼玉」という映画があり、これが大変私好みの映画で!
ギャグのテンポ、どこかマヌケだけど美しい登場人物達、埼玉vs千葉の異様な盛り上がり、ハッピーエンドと呼んでいいのかわからんけどとりあえずハッピーエンド!
有無を言わせぬ怒涛の展開、設定、映像、時々BL、
全てが私好みで、観終わった後も何度も心の中で反芻しては、ウフフとやっておりました。
そして、何度目かの反芻中、突如、
「私がやりたいの、コレじゃん」
と悟ったのです。
ギャグ、笑い━━
子供の頃から、人を笑わせるのが大好きで、小1の時は、給食の時間になる度、教室の前へ出て、毎日変な踊りを踊っていました。
でも、クラスメイトに
「それ、ピンクレディじゃないやん。」
(当時、ピンクレディが流行ってて、クラスメイトが求めていたのはピンクレディのダンス。
そして、私はTVを殆ど観たことがなく、ピンクレディを知らなかった。)
と言われて、踊るのをやめてしまいました。
でも、あの時の私は、ただ人を笑わせるのが好きで、私も笑うのが好きで━━
翔んで埼玉で、私は小1ハートを思い出しました。
そして、恐らく私は、漫画という手段を使って、自分の笑いを表現して来たのではないか?と気づいたのです。
★★★
また同じ日に、クリップスタジオというお絵かきソフトの使い方の講座をしているチャンネルを見つけて、
その説明と主のお話が面白くて、楽しくて、ウンウンと頷けることが多くて、励まされて。
そしたら自然と、
「私も描きたい…!」
という気持ちが込み上げて来ました。
それまでは、
「何とかして描けるようにならなくては!」
「でも、どうやったら?」
「ワクワクに従って描け、私ー!」
と自分に言い聞かせつつ、失敗を繰り返していました。
わらをも掴むような必死さで、もがきまくっていました。
しかし、楽しそうに描いている人を見ていたら、
「私もやりたい!」
という、小1のような無垢なハートがムクムク込み上げて来ました。
そして
「やりたい!」
は、そう思った瞬間から、ブロックだの、トラウマだのが
「トラウマって何だっけ?」
ってぐらい、自分の心の中でググーッと萎縮してしまいました。
描けない恐怖って何だっけ?と思える程に、絵に対する気持ちが逆転してしまったのです。
恐怖心が完全に消えた訳では、まだないんですけど、それでも自分の心の管に詰まってた栓が、
「やりたい!」
で、スポーン!と外れてしまったような感覚です。
ああ…これだわ…
子供の頃の私は、このワクワクの中で絵を描きまくってたわ…
どうやらワクワクって、思い出そうとして思い出せるものではないようです。
何の身構えもないある日、突然、何かと出会って、
【頭の中がソレで一杯になって】
それがやりたくてウズウズしちゃう。
そんな風に感覚を掴んだり、思い出したりすることがあるようです。
小1ハート!
コレですわ!!!
★★★
…ということが、つい最近起きました。
ええ、ええ、ブロックを乗り越える為と思って、このお仕事を始めた私の目的は、たった数日で、全く違う方向から、達成されてしまいました。
そして…
これは、このお仕事を受ける時から感じていたのですが、
「本当に、この方向へ進んでいいのか?(エロだし)」
という違和感。
でも、よくわからなかったので、とにかく描いてみればいいやと思い、仕事を始めることにしました。
実際に描き始めてわかったのは、
ギャグの部分を描いている時の私はノリノリで、次々とアイデアが浮かび、時間を忘れて夢中になって、描いていました。
ですが、成人向けのシーンになると、途端に描くのが面倒臭くなり、ワクワクもしないし、ダラダラ描いていました。
ここまでわかりやすいと、むしろ引く。
私が描きたいものは、エロ漫画ではなく、ギャグ漫画ではないですか!!!
知ってた。
★★★
受けた以上、この漫画は必ず完成させて、必ず納品して、必ず原稿料でウホウホするつもりです。
けれど、私の心の中ではもう既に、
「『漫画家』という形態にこだわる必要はないのでは?」
と感じています。
というのは、職業としての漫画家は、どうしてもお商売ですので、クライアントの意向や編集の方向性、
そして、『売れるものを目指す」
悪く言えば、売れる為なら、個をねじ曲げることも多い業界です。
何かの有名作品を例に挙げて、「これと似たものを描け」と言われることもよくあります。
こういった漫画業界のやり方は、お商売としては普通であり、常識でもあり、またよくわかる話です。
そこに関わる編集社もクライアントも、生活費がかかっていたり、家族がいますので、より売れるものを目指す体制は、別段悪いことでも何でもありません。
むしろ、普通のことかと。
でも、スピリチュアルな生き方をしたいと思っている自分には、
もうやりたくないことは、できなくなってしまいました。
それが悪いという話ではなく、人の生き方の選択の1つ。
売れ線を目指すことが悪い訳でも、
やりたくないことはもうできない生き方も、
どちらが悪いという話では、決してないので、そこは重々押さえておいて、その上で。
ここ数日で、私の進みたい方向が、ある程度定まりました。
それは、漫画家という形式に拘る必要を、もう感じないものでありました。
むしろ、「今時の絵で」と何度も押しつけられることに辟易しちゃって、そんな気持ちで自分が良いものを描くとは思えない。
同じ状況で良いものを描く人はたくさんいるけど、私は興味がない。
ですから、「職業:漫画家」に、もう拘る必要を感じなくなりました。
それは寧ろ、自分にとっては良かったことで、より進みたい方向へのビジョンが明瞭になった気がします。
そして、だからと言って、今回のお仕事が自分にとって失敗だとか、無駄ということは一切ありません。
寧ろ勉強になるし、今時の絵で描くことも、自分のできる範囲で挑戦しようと思っています。
もしかしたら、自分の絵に対して感じていた稚拙な部分を克服するキッカケになるかもしれないという期待も大きいもんでw
ただ、売れ線を目指すやり方がメインになる描き方は、自分にはできない、やりとうないとわかっているので、いずれこのお仕事を辞めると思います。
というか、まあ、
「やりたい方向が確定するまでの繋ぎに、このお仕事をやる」
という上からの意向が最初からあったので、その時期が私の想像以上に早いのかもしれないという予感が、今している段階です。
繰り返しになりますが、売れ線を目指すやり方が間違っている訳ではないし、
心に従い、やりたくないことをしない生き方が、間違っている訳でもありません。
しかし、前者は、スピリチュアルな方々には鼻をつまみたくなるようなやり方だし、
後者は世間一般の方々が、白い目で見るやり方です。
でも、宇宙という視点から双方の在り方を見た時、どちらが正しい、間違えているというものはないことを、我々は魂の奥底で、実はちゃんと知っています。
ここは手段の成否を問うのではなく、どういう感情の上でそれを行うかの部分を、注意深く見つめなければなりません。
恐怖や不安、心配、焦りで、自分の進む道を決めていないだろうか?
シンプルに、この1点。
これを基準に、自分の人生における選択を天秤にかけ、恐怖や焦りで決めているようだと気づけば、必要な対象を行う。
こうすることで、より生きやすくなるんではないかなーと思っています。
物事の成否は、ちっとも問題じゃないんです。
問題は、自分がこの世を去る瞬間に、何の後悔もない生き方を、この人生でやり切れるかどうか。
逝く寸前に、微塵でも後悔の残る生き方なんて、心がザワついて気持ち悪いじゃないですかw
だから、世間の言う正しい生き方だとか、間違ってるとか、今際の際ではそんな価値観、クソだってわかります。
後悔しない生き方をしたいから、だから私は心に従うことにした。
…というお話でした。