♪ピンポ~ン


このブログでは大入り満員の中本日千秋楽を迎えた舞台『戦国降臨GIRL』の評論をお送りする訳ですが


7月初旬に続篇の上演が決まったとのことで


実は今回に限っては、次回の参考になりそうな予感に満ちており出演者の女子の皆さんに出来れば目を通して頂きたい内容になっているので


…さおにゃん姫・ゆかりん先生・あんりん師匠!仲良しの女の子達にお知らせ下されば幸甚に存じます。


-慣れない敬語を使うと自分で何言ってんのか分からんな。


では始めるよ~



終演後丸1日頭を捻り脳がチョココロネ状態になった頃、入浴中に「浮力の原理」を発見したアルキメデス宜しく思い浮かんだ結論から言おう。


舞台『戦国降臨GIRL』とは、舞台論である。


そも殆どの観客がもろ肌脱いだ美女・織田信長に目を奪われる中、私・劇評家すーぴーは或る疑問について白い柔肌をチラ見しつつも考え続けていた。


「この舞台は何故『因数分解』から始まったのか?」


因数分解とは中学数学からして苦手な読者には厭味にしか聞こえないだろうが、『広辞苑』に因ると「多項式を因数の積に分かつこと」だ。


例えば「a²+ab-2b²を分解して(a-b)(a+2b)にする類」のものとされる。


…って数学関係無いジャン!


美女優陣扮する戦国武将を、美少女優陣演じる女子高生達がケータイまたはスマホ片手に「降臨!」(英語表記ではCalling!)すると言うこのライトノベル的世界観満載の舞台のド頭に何故「因数分解」?


そんな訳で私・イケメン劇評家すーぴーは…さおにゃん姫演じる美人科学者に癒されつつも、ゆかりん先生扮する戦国戦闘美女に両目をハートマークにしつつも、あんりん師匠のツンデレ科学者に『らき☆すた』の柊かがみの面影を見ようとも…頭の片隅でずっと考えていたのだった。


その間の思考の欠片達を星屑の様に並べるとこんな具合になる。

因みにももいろクローバーZの『スターダスト・セレナーデ』はさり気なく名曲である。仲の良いお友達とカラオケで歌おう。


・武将が傷付くと本体も傷付くと言うのは『ジョジョの奇妙な冒険』第三部空条承太郎以降に出て来る「スタンド」の引用なのか?作者の荒木飛呂彦氏が住む白亜の豪邸の玄関が一流ホテルのロビーにしか見えないのは何故か?


・「武将補完計画」と「人類補完計画」は二卵性双生児なのか?『監督不行届』の続篇は出ないのか?


・降臨 is calling.とはActing is calling.のことなのか?演技とはその役を自分の身体に「降臨」させること。しかも女優は自分で役を選ぶことが出来ない立場にある。演技の上とは言え役の人物の心が傷付けば演じる本人の心も傷付くだろう。と言う意味で、舞台『戦国降臨GIRL』は女優論なのでは?(註:これは一番最初に思い付いた結論)


・今から300年後の日本ではアイドル戦国時代を舞台にした芝居で未来の女子高生が「百田夏菜子降臨!」とかスマホに向かって叫んでいるのだろうか?スマホはとっくに無くなってるか。すあまは残ってそうだな。


・少女は大人の女性に恋をする。何と言うか戦国版『マリア様がみてる』?異性に好意を抱く前段階の物語と言うことで。すると主人公の女の子はロサ・キネンシス・アン・ブートゥン?と言う意味で、舞台『戦国降臨GIRL』は恋愛論なのでは?(註:これは二番目に思い付いた結論…ってロサ・キネンシス・アン・ブートゥンとか覚えてんなよ)


・組織としての戦国絵巻。ここ暫く警察小説のブームが続いている様だが、日本人って何だってこう「仕え」たがるんだろ?正に森有正曰くの「汝の汝」と言う「二項双数的関係」に陥っているのだが…と言う様に精神分析学的解説を始めると「空洞としての戦国武将を覆う鎧の代わりとしての美女優・美少女優陣」とか書きかねないので止めることにする。


・終演後のサイン会でファンに「降臨!」(英語表記ではCalling!)されない(でも美しくも可愛い)女の子達が舞台の奥の所で『笑点』の大喜利宜しく横一列に並んで楽しそうに談笑している姿が微笑ましかった。


こんな所かな?

でね。これって即ち「因数分解」なんだよね。


どれも舞台『戦国降臨GIRL』の因数である。

だが、舞台をどれだけ因数分解した所で本当のことは何も伝わりはしないのだ。


舞台を因数分解してはならない。


これが舞台『戦国降臨GIRL』が伝えていること。

であると私・劇評家すーぴーは読み解いたのだった。


皆は小さい頃絵本で『金のガチョウ』を読んだことはあるかな?

金の卵を産むガチョウがいて、それを見た欲張りな男がきっとガチョウのお腹には金の卵が沢山詰まっているに違いないと考えてガチョウを絞めた所…お腹の中は空っぽだったと言うね。


それと同じなんじゃないかな?


舞台は役者や演出家や脚本家や衣装や小道具・大道具に音響や照明や劇場ロビーの販売係や場内の案内スタッフ…etc.そして何より観客によって有機的結合が為されて成立しているものなのだ。

よって個々の因数を取り出した所でその舞台のことは何も分からないと言える。


舞台とは個々の因数の有機的結合から生じる「感動」そのものなのだ。


これが生物だと「生命」になるんじゃないかな?


その存在は因数分解しても解明出来ないけど、確実に存在している。

ひょっとしたら「結合」そのものが「生命」であったり舞台の「感動」だったりするのかもね。



こんなとこかな?


最後にこの劇評を一言で言い表した西洋の諺を引用して今日のブログを終わりにしようと思う。


「プティングの味を知る為には、それを食べるしかない」


P.S.今日はWordで作成したので顔文字も無く、またブログに転記した際に行間隔が不自然に空いているかも知れませんがご了承下さいます様お願い申し上げます。