喜劇のない時代
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寅さんは、とっくに死んでしまった。
社員旅行の帰りのバスでは、寅さんシリーズをビデオで流すのが定番だった。
みんなで映画の大画面に繰り広げられる「大まじめなバカ」を見て、大声をあげて笑う時代が懐かしい。エネルギッシュで大まじめな喜劇よ。
「笑えるバカ」の時代は去り、「あきれるバカ」の時代になった。
落語に人気が戻ってきた。
「笑えるバカ」が目に見えない想像のスクリーンで笑わせる。
音楽を聴いて、大笑いすることはないが、落語を聞いて、涙が出るほど笑ってしまう。
誰か、北朝鮮の将軍様をちゃかした、大まじめな喜劇を作らないだろうか。
チャップリンがヒトラーをちゃかして大まじめで作り上げた「独裁者」のような喜劇を。
舞台設定は、北朝鮮ではないが、はっきり北朝鮮とわかる国。
その国の独裁者が死ぬところから始まる。
わたしは、この国の繁栄と、おまえたち家族と息子のために全力を尽くしてきた。
お父さん、死なないで、と太った息子がすがりつきながら、泣く。
それを見守る家族や関係者も思わずもらい泣き。
息子よ、おまえは気が小さく、くいしんぼうで、わがままだが、この国のことを任せるぞ。泣いていないで、しっかりと父の最期の言葉を聞くのだぞ。
と、延々とこと細かく独裁者たるものが、どう振舞うべきかを述べている最中に父は死んでしまう。
一同、号泣。
息子は、床につっぷして、床をたたきながら、足をばたばたさせて、泣き叫ぶ。
やがて、新しい独裁者が父の後継者として、登場する。
このときの息子である。
彼は、気が小さいが、国民に決して気付かれないように演技して振舞う。だが、食いしん坊の性癖はやめられず、太っている。
映画は、この独裁者に降りかかる幾多の国家的危機と、決して国民や他人には見せない、隠された苦悩の日々を、喜劇タッチで描いていく。
と、わたしの夢想は他愛のない、ばかげたものだ。
しかし、テレビのニュースなどで、北朝鮮の独裁者がまるまると太って、大まじめで登場するシーンを見ると、どうしても喜劇を連想せずにはいられない。(拉致問題や、飢餓や、様々な悲しいことがあって、この国をちゃかすのは、不謹慎かもしれないが)
対比してしまうのは、サダム・フセインである。こちらは、いかにも独裁者づらで、威厳をもった怖いおじさんとして登場する。
笑い事ではないといわれれば、そうなのだが、今回の六カ国協議の内容なんかを見ると、どうしても、あんな国は一回でもいいから、笑い飛ばしてしまいたい気分になる。
さぁ、六カ国競技の開催でーす、なんてね。