テレビ少年
わたしは、昭和30年(1955年)生まれ。典型的なテレビ少年。テレビっ子である。
アメリカからやってきた「ポパイ」をよく見た。
それから、小学校から「ひょっこりひょうたん島」を見るのが楽しみで、放映の時間に間に合うように家に帰って、必ず見たものである。今でもおぼえている劇中歌がある。
「勉強、勉強、勉強せよと、大人は子供に命令するよ。
強くなるために。偉くなるために。
あーあーあーあー、そんなの聞き飽きた。
いいえ、大人になるためよ。
男らしい男、女らしい女。
そうよ人間になるためーに。
さぁ、勉強なさい。
そうだとも、泣けちゃうよ。
今のことば。
みんな忘れるな。
テケさんもね。」
とかなんなかいう歌だった。
このたぐいの歌が山のようにちりばめられた、一種児童冒険ミュージカルのような「ひょっこりひょうたん島」だった。
なぜか、わたしは、この番組に釘付けになった。
今でも、上のような歌をそっくり覚えているのだから、テレビの力は恐ろしい。録音テープもなく、ましてやビデオなんかまだ想像だにできない時代である。
わたしは、明示的に分析したことはまったくないが、わたしの成長に(わたしがわたしであるために)テレビが与えてくれた影響(栄養?)は、見えないところで、計り知れないものがあるに違いない。
「月光仮面」「狼少年ケン」「マリンコング」などなど...わたしがどっぷりと浸かってしまった番組は、数多い。
「狼少年ケン」の歌を歌いながら、「ナショナルキッド」のマントを身にまとい、そこらじゅうをかけまわった、うるさいガキだった。
とりわけ、わたしの興味を引いたのは、科学実験番組だった。たしかNHKだ。
その中で、とびっきりわたしが影響を受けてしまったのは、電子回路を使っての工作だった。その影響のもと、わたしは、中学の科学自由研究で、「電子オルガン」なるものをこつこつと組み立てて、学校で発表し、県大会まで行ったものだった。
入鹿山さん に共感するのは、こうした、わたしの来歴があるからだ。
NTTドコモで「腕時計型電話」や有名な「シグマリオン」を開発された入鹿山さんの大きさと輝きにとうてい及ばないが、同じようなDNAを感じてしまう。(ちなみに入鹿山さんの来歴もそうとう変わっていて興味深い)
彼とは、溜池にあるぴかぴかのドコモ本社で2回ほど直接お目にかかて、お話をする機会があった。そのとき、わたしのDNAが震えていたのをおぼえている。
さて、テレビだが、わたしは、床屋で髪を切ってもらいながら、「マリンコング」という番組をテレビで見ていた記憶がある。
いまから思うと、見たいテレビ番組を頭にインプットしておいて、何が何でも見るという、わがままなガキであった。
テレビは、わたしの友達であり、先生でもあった。映画もなくてはならない存在だったが、おやじほどは映画にどっぷりの感はしない。おやじ(もう他界した)は、テレビの前の時代の人だった。
そうしたテレビ少年として育ったわたしであるが、近年インターネットでの動画配信などが始まり、日本テレビがインタネットで「第二日本テレビ」などを立ち上げたりして、テレビとインターネット、旧来メディアと未来のインターネットの融合などが、なにかと話題となった今日この頃ではあるが、わたしの正直な感覚では、「何かテレビの本質を誤解しているな」という考えが浮かんできて仕方がない。はっきり言えば、「テレビ」と「インターネット」は、その本質的な部分において、まったく別のものではないかと思わざるを得ないような、なにかがわたしの中に浮かんできて仕方ない。
この詳細な分析は、わたしとしても、人生において大きな問題であろうと思うので、もっとつきつめて考えるつもりである。
今、このときでは、なにか漠然としたもっと違ったなにものかが雲のように湧いて漂っているだけではあるが。
アポロ11号の着陸船が月面に着陸する瞬間をライブ放送でテレビで見た。
その、同じ「興奮」のようなものが、2001年の9.11、アメリカを襲ったテロが、世界貿易センタービルへ民間ジェット機でつっこんだ瞬間をライブで見てしまったときに、たしかに、あった。
そして、それより前の出来事ではあるが、「阪神淡路大震災」のとき、何の気なしにテレビのスイッチを入れると、画面には、信じられないような光景が映し出されていた。
それは、映画でも、インターネットでも、ましてや新聞・雑誌でもない。
「テレビ」の存在だった。
