東京オリンピック | 帰ってきた社長がんばるin群馬

東京オリンピック

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営業の途上、車の中でJOCによるオリンピックの日本代表候補地選定のニュースをやっていた。選定委員による投票の模様と結果がライブで放送されていた。結局、2016年の夏季オリンピック、日本の代表候補地は東京に決まった。


東京オリンピックが開催されたのは、1964年、わたしが小学3年生のときだ。高速道路や競技場が急ピッチで建設され、日本の首都東京の現在につながる姿のベースがかたちになった年である。


みんな東京オリンピックにわいた。わたしは、運動会で東京オリンピックをテーマにした競技をやったことをおぼえている。

そして、みんなテレビに釘付けになって応援した。小学校の授業中、マラソンの中継を用務員室のような部屋で同級生と観た。アベベ選手が黙々と走り続けていた。


そして、市川崑 監督が監督した記録映画の記憶が今でもなまなましく残っている。

http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/interview/index.html

こちらに、市川崑 監督のインタビューがあり、そのときのエピソードなどが語られている。


最初は、黒澤明監督が撮る予定だったそうだ。ところが黒澤監督が、どうしたわけか降りてしまったので、ピンチヒッターで市川監督が撮ることになったそうである。黒澤監督が撮っていたら、どういう作品になっていただろう、などと想像したいが、それは無理だろうと思う。オリンピック選手は、役者じゃないからだ。


そこで、思い出すのは、フランスのグルノーブル冬季オリンピックを記録した「白い恋人たち」である。この記録映画で使われたフランシス・レイの「白い恋人たち」という曲も忘れられない。なんといっても、その曲を映像にのせ、融合させてゆくセンスは、わたしが非常に強いショックを受け、わたしの体の中に住み着いている何者かである。


さあ、もし北京の次のオリンピックが東京に決まったら、とんな記録映画を誰が撮るのだろう。

しかし、すでに時代はかわった。あんまり期待しないでおこう。

デジタルハイビジョンの生中継で存分に世界中をわかせ、そして、東京オリンピックは閉会式を向かえ、消えて行くだろう。

そういう映像の未来の時代になっている。そして、その時代は、ぎくしゃくしながらも、もうすでに始まっている。