「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない」。
これは、ブッダの言行録である「法句経(ダンマパーダ)」に書かれている言葉です。
イスラム武装勢力、ハマスによるイスラエル奇襲攻撃の報に接し、この仏言が頭に浮かんでいます。
まず基本情報として、ガヤ地区はパレスチナ国の行政区画ですが、地中海に接する「飛び地」であって同国政府の影響力は低く、同政府に協力していないハマスが実行支配しています。そして今回の武力侵攻は、パレスチナ国ではなくあくまでもハマスの単独行動です。それゆえ、「パレスチナ」と「ハマス」は分けて考えられなければなりません。
※ちなみに日本政府は「パレスチナ国」を承認していません。それゆえ、以下「パレスチナ自治政府」と表記します。
イスラエルは、「パレスチナ自治政府とは交渉をするけれど、ハマスはテロ組織(イスラエルにとっては)だから交渉する余地はない」…という姿勢を貫いています。そしてハマスは度々、ロケット弾やテロ活動によってイスラエルを攻撃しており、イスラエル政府はハマスを封じ込めるため、ガザ地区に過剰な圧力をかけてきました。それゆえガザ地区の住民は生活に困窮しており、同地は「天井のない監獄」と呼ばれることがあります。この点、ミャンマーのロヒンギャと境遇的に重なります。
イスラエル政府による、ハマス、否ガザ地区に対する強硬な経済封鎖。
このためガザ地区に住むパレスチナ人は、劣悪な環境の下、生活苦に喘いでいます。これがイスラエルへの「怨み」につながっていきます。そして、その「怨み」がさらにハマスへの共感を呼び、イスラエルへのテロ活動が活発化。そうなるとイスラエル側でも「怨み」が強まり、テロへの報復攻撃が、ガザ地区に住む一般市民をも巻き添えにしてしまう…。それが次なる「怨み」を産みます。
そうしたことの繰り返しの結果が、2023年10月7日のハマスによる全面攻撃。
多くのイスラエル一般市民が殺害され、国外から出稼ぎに来ている労働者も、虐殺に巻き込まれてしまいました。
例えば、タイ。
約30,000人が、出稼ぎ労働者や留学生として、同国に滞在しています。タイ国外務省による最新の情報では、今回の侵攻により20人が死亡。13人が負傷し、14人がハマスによって拉致されたとみられています。但し現場はまだ混乱しており、この数は今後も増える可能性が高いです。
タイ東北部コンケン県に住むブドモー家。
ガザ地区近郊で農場労働者として働いていた26歳の息子パードゥンさんが、ハマスの襲撃によって2発の銃弾を受け、重篤となっています。家族はパードゥンさんのためにタイ式の祈りを捧げ、彼が回復することを願っています。
重傷を負った家族への、なんと素朴な祈りでしょうか。
ネパールでも、イスラエルに出稼ぎで働いていたネパール人10人が死亡したと報じられています。
あぁハマスは、世界各地に「怨み」の種を蒔いてしまった…。今回生じた「怨み」は、引き続きどのような悲劇を生み出すのでしょうか。もちろん新たに生まれた悲劇は、さらなる「怨み」となって広がっていくことでしょう。
「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない」。
大きな犠牲を受けたイスラエルのユダヤ教徒には、「怨み」を消すことは難しいことでしょう。タイは仏教国ですが、大切な身内を失った人たちは、ガザ地区に住む人たちの窮状を理解し、ハマスを許すことができるのでしょうか。それとも、イスラエル政府の側に立って、ガザ地区への報復攻撃を支持するのでしょうか。
ハマスは、おおぜいの民間人を殺害するという大きな罪を犯しました。関係者は罰せられるべきです。
でもハマスと無関係なガザ地区のパレスチナ人が、イスラエルの報復攻撃を受けることは正当化されるのでしょうか。
戦争が始まったのだから、一般人が巻き込まれてもやむを得ない。
21世紀に入って23年。科学は飛躍的に進歩しているのに、こんな言い訳しか思い浮かばない精神性の低さには、絶望の思いです。
そんな古くさい言い訳が、今も成り立つというのなら、バードゥン家の素朴な祈りのほうが、人間らしくてあたたかみが感じられます。ヒトとしてどちらがあるべき姿なのか。私にとってはその答えはあきらかですが、それは身内を失っていないから言えることなのかも知れません。仮に私の家族がハマスによって殺害されたら、私は「怨み」を乗り越えることができるのか、否か。たいへん重い課題です。