理想を説くより、現実の分析を | 「アジアの放浪者」のブログ

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TBSニュースに掲載された在日ロシア大使のインタビューを読みました。

 

 

ウクライナ・ブチャでの民間人虐殺を、けっして認めないガルージン大使。

虐殺の事実はない、と断言する根拠は何かという問いに対し、大使の答えはこうです。

「それはロシア軍の発表だから」。

 

なるほど、外交というのはこういうものですね。呆れはしても、驚きはありません。

本国が「知らぬ」といったら、全世界のロシア外交官も、「知らぬ」という他に選択肢はない。さもなければ、外交官を辞めるしかないのですが、今は辞めて本国に戻りたいと思えるタイミングではないでしょう。

 

客観的真実さえ明らかにされなければ、嘘だと証明できない。証明できなければ、嘘にはならない。

 

思えば日本でも、検察がしっかりと立証できない部分を突いて、裁判で無実を主張する被告が少なくありません。ロシアがやっていることも、この延長線上にあるようなものでしょう。

 

おそらく、程度の差こそあれ、こうした外交姿勢は世界では当たり前なのかも知れません。

だからこそ、友好国との「集団安全保障」という枠組みが、重要なのだと思います。自国を守る軍事力を保持するって、これにはかなりな費用が必要です。そして、国力や人口が右下がり傾向にある日本にとっては、負担が重すぎるように思います。やはり米国を中核に、友好国と防衛面での協力関係を強化する努力は、欠かしてはならないでしょう。

 

ただその時には、どうしても「仮想敵国」が浮かび上がってしまいます。

また、友好国が攻撃された時には、日本もそれ相応の協力を果たさなければなりません。

 

「国際関係」というと、日本では「友好」「協力」という印象が強いのではないでしょうか。しかし世界の現実は、「国際関係」といったら、「対立」「抑止」「勢力拡大」「均衡」といったキーワードの方が重要性があるのかも知れません。

 

時間をかけた議論が必要ですね。

「理想」を説く前に、「現実」を分析すること。なぜか日本では、現実を分析することを、意図的に避けているように思います。日本では「平和学」という学問はあっても、「戦争学」という言葉はほとんど耳にしないことが、いい例です。

 

ヨハン・ガルトゥング博士。

ノルウェーの社会学者で、「積極的平和」という概念を提起した著名な人物ですが、日本では、「平和学の権威」と呼ばれています。しかし英語では、「Peace and Conflict Studies (平和と紛争学)」の基礎をつくった人として知られているのです。なぜか日本で紹介されるときは、「Conflict」が消去されてしまうんですね。

 

理想ばかり語らず、現実にもっと目を向ける勇気が、これからの日本に必要なのかな、と思います。