資格はどんなに簡単と言われるものであっても、時間と体力と能力と金を消費していく。

だから、難しい資格であればあるほど、その勉強を始めてまもなくして、資格を取ることが目的になっていくことが多い。


 資格はそれができる権利だから、入り口みたいなもので、それを取ったからといってどうこうなるわけでもない。適正があるわけでもなければ、将来が保証されるものでもない。むしろ、その分野の専門家として

より知識の蓄積と技術の研鑽が必要で、受験生活以上の勉強を一生に渡ってやることになる。


 でも資格をとることが当面の目標になるのは当たり前だし、受かればちょっと萎えるだろう。安心感で。

でも危険だと思う。当たり前だけどとても危険である。何にもなれていないのに、なった気になるからだ。


 空手家は例えばかわら割をするとき、かわらよりも下にある地面の中にこぶしを打ち込むつもりで

叩くという。組み手なんかでも相手の背中の後ろの空間を殴るつもりでこぶしを突き出すという。

これって応用できる考え方じゃないかなと思う。


資格はかわらだ。それを割ろうとしてそれだけに向かって叩いても全部割り切れないんだろう。

その下の地面を叩くつもりでやる。仕事で身を立てるつもりで勉強する。

そうすれば結局かわらを貫通してなおかつ、仕事に入っても驚かずにやれるんだろう。


皆さん、頑張ってください。

思えばきっとかなうと私は信じております。


それでは~♪