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[アダルト内容的生活も含めて自分 ※アダルト内容そのものを含みません。[承認][拒否] ]の記事で、『何故、女性の裸が商品になっているのか?』と記述していたが、その答えは、【芸術の裸】としては【美しいと感じる】からであり、【性欲の裸】としては【エクスタシーを感じる】からである。
もちろん、男性の裸も【美しいと感じる】、そして、【エクスタシーを感じる】のであれば、商品になる。
本来、【美しい】と【エクスタシー】は売買するものではない、誰もが無料で鑑賞し堪能出来るものと思うのだが、世の中には現在、商業ビジネスの中に【美しいと感じる芸術の裸】と【エクスタシーを感じる性欲の裸】が存在している。
その商業ビジネスに対し、金銭的余裕が有れば、【美しさを欲する】欲望と、【エクスタシーを欲する】欲望は満たされる。
芸術学部に通っていた僕は、【芸術の裸】と【性欲の裸】の違いが解る。
芸術が誕生した古代から現代まで、全てを見渡せたわけではないが、どの裸が【美しいと感じる】のか、【エクスタシーを感じる】のか、解る。むしろ、その違いが解る方のほうが多いのではないか。
もし、街角で、【美しいと感じる芸術の裸】を表現している方が居たら?
道行く人々は、その美しさに惹かれるだろう。僕もじっくり鑑賞するだろう。
しかし、司法機関はそれでも許さず、公然猥褻で検挙するだろう。
もし、街角で、【エクスタシーを感じる性欲の裸】、言い方を変えれば、露出狂が居たら?
道行く人々は、卑猥と受け取るだろう。僕も卑猥と受け取り、望まない光景であれば不快に感じるだろう。
そして、司法機関は迷わず許さず、公然猥褻で検挙するだろう。
いや、だが、もし、その【性欲の裸】が心地良い【美しい】を醸し出していたら?
道行く人々の中には、その美しさに惹かれる方がいるかもしれない。【芸術の裸と性欲の裸】の違いが解る僕もその美しさに惹かれ、鑑賞するだろう。
そう、【エクスタシーを感じる性欲の裸】が【美しいと感じる芸術の裸】に成る瞬間が訪れる場合が有り、人々の【裸】に対する価値観の相違が有ると思う。
僕が鑑賞させて頂いている、アートなるヌード写真を掲載されているブログが在るのだが、ブログサービス運営会社による不適切なアダルト画像としての削除の処置もあるようだ。【18歳未満閲覧禁止】等の注意書きがなされていないのであれば当然なのだが、【芸術の裸】を理解出来ない閲覧者も多く、子どもたちにとっても有害情報になってしまうという現実。
前回と今回と、僕の独り言のように綴っているが、支離滅裂な箇所が有るかもしれない。(汗)
短時間では書けない苦労が有り、ちょっと簡単な文章で表現出来ない小難しさが有るのである。
最も何が言いたいのかというと、誰しもが持つ【裸】の【美しい】と【エクスタシー】が、芸術文化を把握しきれていない教育現場や、性の知識を悪用する教育現場により、望まれない【犠牲なる裸】へと混沌としてしまい混乱してしまっている世の中である事が、時に成長段階の子どもたちへの悪影響であり、社会に性犯罪が氾濫し横行しているのではないか、という疑問と感覚を僕は抱いているという事である。
そして、常に感じている事。
男性が我が身体の内側から感じる痛みは何がある?腹痛?腰痛?頭痛?心痛?
女性は、月経の痛み、出産の痛みを伴う身体であるのだから、その痛みを直接感じる事のない男性は、女性の身体を優しく労わる思いやりを心掛け、あたたかく包み込む包容力を身に着けていかなければいけないと思う。
新しい尊い生命を宿し、美しいと感じる【裸】を持つ女性を守り通す逞しさを決して忘れてはいけない。
決して乱暴なる凶暴なる裸ソムリエにはなりたくない。
幼い頃に何故かいけないと知りつつも、大人の本で大人の世界を覗き知り、そして、両親がいなくなり十分な大人の愛情と性教育を受けなかった僕自身の、【アダルト内容的生活も含めて自分】である事の認識。
今や、有害とされている大人のアダルトコンテンツは、本やドラマの他にAV、ゲーム、インターネットから大量に配信されている。
世界中で、まだ幼い子どもの身体を大人の欲望の対象にしてしまっているコンテンツも有る。子どもが大人の欲望の対象になる事を認めてしまっている親が居る。
僕一人が、犯罪防止を啓蒙し、危険回避を呼びかけていようと、便利がゆえに、明るい話題とは反対の、大量の犯罪・危険情報を子どもから大人まで知る事が出来てしまう世の中。
当記事にある一つ一つのワードも、検索ワードのヒントになり調べられる。
余談だが、公開している僕のオリジナル楽曲の[ LOVE ART ROCKS ](約10分)は、【愛し合う二つの裸】が表現されている。よって、[ passion fot 2 bodies ]なのである。
ARTとROCKSをLOVEであり、愛の芸術の塊(岩)である。
そして、blog titleの[ love art rocks ]なのである。
アダルトコンテンツを大人たちが幾ら避けようとも子どもたちが知ってしまうネットワーク社会の中で。
僕は、【美しい】と【エクスタシー】なるアダルト内容的生活を愛と共に美しく真面目に表現したいという想いが有る。※当然、ルール・マナー、僕と他の方のプライバシーは守りたい。
悪用がなければ、今すぐにでも。
年でなくとも年男でなくとも、違いの解る僕である。
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決して許されない!何の罪もない方々が何故、殺められていくのか!
全ての命は尊いが、罪深き者は平然と生きている!

各地で起こる数々の卑劣な犯罪ニュースを視ながらいつも感じるが、一斉に報道するメディアは、影響されやすい弱き者による悪影響の連鎖(情報の悪用)を引き起こしているとも思う。
(千葉で起きた通り魔の報道の悪影響も、福岡でも連鎖したのではないか。)
(福岡のチューリップ祭りのチューリップを車で傷付けた報道の悪影響も、群馬でも連鎖したのではないか。今も尚、福岡市内で連鎖しているのではないか。)
「自分はこんな真似しない」と意志を抱き、全ての生命を尊重する人ばかりであれば良いのだが、情報は時に、最も危険な脅威である。
それを認識していながら何でも飛びつく各報道、時折、生命の傷みに対し思いやりのない浅はかなコメント、表現の自由・言論の自由を極限まで著す各メディアのあり方に、常に疑問を抱いている。
(事件・事故が起きた街角でインタビューを受ける人々も、被害者・遺族の方々の傷みを感じ取り決して笑みを浮かべてはならない。インタビュアーへの微笑みはカメラ前では要らない。
悲しみの出来事を扱うメディア・編集側は笑みを浮かべている方は放映してはいけない。被害者・遺族の方々への配慮をしなければいけない。どれ程の傷みを背負っているのかを感じ取り思いやりを持たなければいけない。)
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僕の日常には非アダルト内容的生活もアダルト内容的生活も有る。
それなりにアダルト内容的生活も経験が有る。
しかし、そのアダルト内容的生活を思いっきり一般カテゴリの日記・ブログで表現出来ない、ルール・マナーが有る。
招待制・非公開のコミュニティサイトでは、18歳未満の利用者も頻繁に見かけてしまう。
インターネット全体公開のコミュニティサイトの場合、閲覧者の年齢は解り難い。
だからといって、別場所(裏)の18歳未満閲覧禁止の日記・ブログをこっそり作って、僕のアダルト内容的生活の日常を更新しようとは思わない。
しかし、アダルト内容的文章を普通に閲覧出来る方もいれば、そうではない、目に映るアダルト内容全てが過激に感じ気分を害してしまう方もいる。
アダルトカテゴリのコミュニティには内容を閲覧する前に、「アダルト内容を含む」という注意書きと[承認]ぽちっとなボタンがあるのだから、非アダルト内容的文章を更新している一般日記・ブログも、時にアダルト内容を含む日記・ブログを更新したくなった時の為の、閲覧前の注意書きと[承認]ぽちっとなボタンを設置して欲しいものだ。
つまり、非アダルト・アダルト両方含めて自分、である。
もちろん、無差別に不特定多数の利用者へ向けて無理やり裸になったり、行為を見せ付けるという公然猥褻はしない。
アダルト内容の真面目な話も出来る自分が居る。性犯罪の事、子どもの教育の事も含めて真面目な話も出来る自分が居る。
ごく自然に。いや、やっぱり不自然になってしまうのかな。
僕は小学校に入学した頃には、大人の世界を親の部屋にあった雑誌で知っていた。何故、女性が裸になっているのかは解らなかったが、近所に住む同級生と一緒にその雑誌を見て何故かいやらしいものを感じていた。その興奮の処理の仕方は当然知らない。
一般カテゴリにアダルトカテゴリは含まれず分け隔てているのは何故だろう?と考える時、何故、女性の裸が商品になっているのか?、何故、男性が女性の裸を違法な事をしてまで買い求めるのか?、そして、何故、女性自身が男の卑劣な性犯罪に手助けをしているのか?という疑問に辿り着く。
様々な方が利用されている一般カテゴリのルールに基づき、アダルト内容そのものを慎まないといけないマナーは当然のように有るのだが、そもそも、18歳未満の方の閲覧が100%ないとは言えない現状の、18歳未満禁止(※サービスにより、15歳未満禁止・20歳未満禁止などと異なる)コミュニティサイトである。
年なのか年男のおかげなのか、こんな夜中に、いや、(時間経過して)夜明けに、このような小難しい事を考え、まるで、食べたい時に食べれない、笑いたい時に笑えない、話したい時に話せないもどかしさを積もらせる僕である。
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