面倒とか、大変そうとか、色々から逃げてみた結果は? | 西谷信広 / 国際政治・経済塾 GEOECONOMICS

西谷信広 / 国際政治・経済塾 GEOECONOMICS

20歳まで2年間ニート。20歳で死にかけ人生反転。小さな会社の売上を200%にして東証1部上場に導き、大手企業、外資系を経て現職。トレーニング、個人セッションで一緒に課題解決。成功の習慣化を提唱。
アペライオン(株)代表、行動変革プロデューサー、著者 西谷 信広

ほんとうに、てきとう

自分の身に降りかかる問題は、親、教師、学校、社会、そして政治が悪いと決めてかかっていた10代。
時々思い出す、バカだった自分のこと。年末にきて、またまた思い出してしまった。
なんでも自分が正しいと思っていたわけだ。すべてはまわりの問題で自分には落ち度なんかないんだと。

でも、ある日、気付かされることになる。

 

長い時間かけて何も達成しなかったけど...

それなりに楽しかった小学校から高校時代

今思えば、「お前が悪い場合のほうがはるかに多いだろ」と思うことも、すべて周囲の責任にしていた。

 

小学生の6年間は遊んですごした。中学は義務教育だし問題なくあがり。中学から高校は受験しないといけないから、勉強しないといけない。しかし、これがおどろくほど、何もしなかった。


高校は滑り止めにやっと入学。偏差値の高い高校を受ける人にとってはすべり止めである高校が第一志望だから、現実的に捉えると、滑り止めなんて呼べる高校は一校もなかったわけなんだが。

 

高校でも、バイトとバイクに明け暮れた日々を過ごした。

まったく勉強というものに縁がなかった。これまた、親にはえらく心配をかけた。

小学校6年間。そして中学高校の6年間。じつに12年間にわたり、これ以上やらないやつがいるのか?と思うほど机にむかわなかった。

 

でも、楽しくは過ごしていた記憶がある。バイトも面白かったし、バイクはなにより最高だった。友達もいたし。将来の事なんてなにも考えていなかったけど、楽しかった。

学校の勉強はからっきし。でも学びも

先生のいいかげんさや、社会の閉塞感は、やっぱり若いと、とても強く感じるもの。ある種、若さの特権なんだろう、と思う。
頭の中で色々な思いや悩みが渦巻くので、私の場合は、書物が逃げ場所となった。だから、本はけっこう色々と読んだ。

 

ロシア文学、日本文学、アメリカ文学などなど。軽い読みものも読んだ。興味は文学に留まらず、いつしか政治学へ。

閉塞感の根幹は、日本の政治に問題があるのではないか。
そんなことを漠然と思ってたようだ。

勉強はしないが、社会をいつか変えたい。そんなことを思うように
なったのは高校の頃だ。なんともアンバランスな要望である。

 

感受性だけは鋭く、だから色々と読んだし、学びもしたわけで、学校の勉強以外の学びはけっこうあったといえる。

だから、学生の本文を実行しないことが正当化されるわけではない。
ただ、わたしにあるのはアホな部分だけでもなかったわけだ。

自分がのめり込んだ分野についてはけっこう必死で考える。この活動を一生懸命やっていた。

大病してはじめて知ったこと。

20歳になっても、わたしはあいも変わらずフラフラしていた。

あのままだったら今頃どうなっていたのかは、考えるだけでも恐ろしい。そんな冬のある日、大病をした。

 

病名は水疱瘡。この病気は大人になってかかると命に係わる事もあるから、私にとっては大病だった。

 

隔離病棟で1ヵ月。

 

退院して初めてのチェックアップで医師から言われた。

 

「キミ、あと一週間入院が遅れた毒が脳にまわって、死んでたよ」

 

背筋が凍ると同時に、なにをいままでしてきたんだか、という思うもよぎって。

 

決して、不健康自慢をしているわけでも、なんでもない。私はそういうのが好きではないから。単純に事実を述べているに過ぎない。

 

他にもきっかけはあったが、病気が大きなきっかけとなり、少し真面目になってみるか、という気持ちになった。

そう思うと、「勉強をしたい」という気持ちがあふれ出てきた。

 

人生の方向修正をしようと思ったから、一番やっていなかったことに向き合おうとしたのだろう。バイトもすべてやめて勉強一直線。受験日まで半年しかなったので、とにかく、どこでもいいから大学に入ろうとした。大学というところで、ちゃんと勉強をしてみたかったわけだ。

 

有名大学ではないが、なんとか合格。

 

入学してみたけど、つまらない大学生活

大学にはいったものの、おもしろくない。

初めて勉強する気になったのに、教授がなぜか来ない、休講。
めったにないわけではなく、チョコチョコある。

ここから色々とあって、結局、米国の大学進学を目指すことにした。


学生課で休学にしたらどうか、と説得されたが、きっぱりとやめた。今まですべてから逃げ続けた人生だ。休学にしてたら、もし、米国の大学が合わなかったら逃げ帰るのは目に見えている。

 

米国にいって語学を一からやり直し。勉強をしていないツケで、Readという単語さえもまともに読めないありさま。でも、逃げる訳にはいかないから、とにかく勉強、勉強、また勉強。


10か月後、TOEFLなども受けてついに大学に入学。

あまりに勉強をしていなかったからだろう。脳みそがスポンジの様に吸収することに驚き、そこまで頭が悪いわけでもなかったことをはじめて知った。気づけば勉強が趣味化していた。

 

追い込んでみると見える景色があるんだなあ、と、漠然と思った。

社会人になってみて思ったこと

人よりおくれての社会人生活のスタート。

このころには人間も多少はマシになっていて、社会のために何ができるのかを試してみようとか、いっちょ前に考えていた。
だから、人と比較したり、人に勝とうなどとは一度も思わなかった。

自分に一番甘いのは自分だったので、まずは自分に打ち勝つ事が先だった。

 

寸暇を惜しんで働いて、仕事の現場から自らのスキルを構築。

本当はもっとできるのに、ある程度のところで手を抜く人を見ると、嬉しくなかった。

 

わからないことにもトライし続けた。勤務先の東証一部上場にも大きく貢献できた。うれしかったけど、それ以上の感情はなかった。

 

なによりのよろこびは、自分が人として多少はマシになったことだった。

もし、できないことをそのまま放置していたら

得意とすることを実行するのは楽しい反面、楽ちんだ。

だから、面倒くさいことから逃げないほうがいい。逃避してたらいまごろは、得意なことだけやって、それで評価されないことに文句をいって、
いかに自分が正しいか執着していたことだろう。


面倒なことには背をむけて、当たり前のことを当たり前にできることの大切さを軽視していただろう。

 

結果は出ていないが、「俺は頑張った」を自慢に、給料をあげてくれ、と上司にいうような、そんな、承認欲求の塊になっていたのではないか。
 

遠回りはしてしまいましたが

けっこうな遠回りをしてきた。自分の人生を軽くみていた20歳まで。
でも、それはそれでよかったのかな、と思うときがある。

つつがなく、そこそこスムーズに進んでいたら、感受性がどこまでそだったかな、と思うこともある。他人ではない。私を対象として考えると、ということだ。

 

遠回りもしてみるもんだ、などと、今はかってに思っている。

 

2018年は、人のつながりを大切にし、助けて助けられる関係を目指したい。人が人を連れてくるような、そんな関係をもっと持ちたい。相手を利用するようではそんな関係はできない。だから、相手の求めに真摯に応えていこう。

 

アカデミックスマートではない自分を信じて、大変だからこそ前にでられる。そんな年にしていこう。