1984年9月にキャプテン翼の影響でサッカーを始めて、最初に見たワールドクラスのサッカーの試合は、1984年12月のトヨタカップ(リバプールvsインディペンディエンテ)だった。

この試合は、インディペンディエンテのペルクダーニが抜け出してキーパーと1対1になり、ゴールを決めて、1-0でインディペンディエンテが勝った。

あまり試合内容は記憶に残っていないが、ゴールを決めた後、選手たちが抱き合って喜びを爆発させているのを見て、こんなに喜ぶんだと思ったことが記憶に残っている。

 

サッカーを始めて最初に記憶に残った試合は、1985年のトヨタカップ(ユベントスvsアルヘンチノス・ジュニアーズ)だった。

 

今回はこの試合のレビューしてみたい。

 

1985年12月8日 国立競技場(東京)

 

ユベントス

1タッコーニ

2ファベロ

3カブリーニ

5ブリオ

6シレア

4ボニーニ

7マウロ

8マンフレドーニア

9セレナ

10プラテティニ

11ラウドルップ

 

アルヘンチノスJrs

1ビダジェ

2パボーニ

3ドメネッチ

4ビジャルバ

6オルギン

5バチスタ

8ビデラ

10コミッソ

7カストロ

9ボルギ

11エレーロス

 

国立競技場がサッカーの試合で満員になるのはこの頃はトヨタカップくらいであった。

チアーホーンというラッパの音が試合前から途切れることなく聞こえてくる。

93年にJリーグが始まるまでは、この音がサッカーの試合にはつきものだった。

 

アルヘンチノスのキックオフで試合開始。

前半3分、アルヘンチノスの右コーナーキック、ボルギは右足アウトフロントでキックし、ボールはユベントスゴールに向かっていく。GKタッコーニがパンチで逃げる。

 

前半30分にプラティニが3人に囲まれボールをキープし、隙をついてシュートを放つが枠の外。

このころには多くの選手のユニホームには泥が付いていた。国立競技場の芝生は緑とは程遠い褐色で、選手が走るとその後の芝生がめくれ上がるといった状態だった。

 

前評判はユベントス有利だったが、アルヘンチノスの方が得点につながりそうなチャンスが多かった。プラティニはロングパス、ドリブルなど見せ場はいくつか作っていたが、決定的なシーンは無かった。

前半は0-0で終了した。

 

後半開始早々、センターサークル内でセレナがヘッドで競り勝ったボールがフリーのラウドルップに渡る。GKと1対1になり、ラウドルップは軽々とGKを交わし、ゴールにボールを流し込むもオフサイドの判定。

 

後半10分、アルヘンチノスは中盤でオルギン、ビデラとつなぎ、ビデラが前線へフワッとした縦パスを送る。そこにエレーロスが走りこんできて、飛び出してきたGKの上を越すループシュート。アルヘンチノスが先制する。

 

後半17分にもアルヘンチノスのボルギがドリブルで3人を突破し、ゴール前でフリーのエレーロスにパス。エレーロスはそのままシュートすれば良かったが、折り返して、カストロにパス。カストロのシュートが決まったかに見えたが、オフサイド。

トヨタカップの過去5回は全て南米チームが勝っていたので、またもやという機運が高まる。

 

その直後、ユベントスは、ハーフウェイ付近にいたプラティニからゴール前のセレナにロングパス。胸でトラップしようとしたセレナの腕をオルギンがつかみ、セレナが倒されPK。

PKをプラティニがゴール右に落ちついて決めて、1-1。

 

22分、ユベントスの右からのコーナーキック。アルヘンチノスが一旦はクリアしたボールをボニーニがヘディングでプラティニにパス。ゴール正面ペナルティエリアに少し入ったあたりにいたプラティニは胸でトラップしたあと、右足でボールを浮かせて自分の左側に入れ替え、左足でボレーシュート。ゴール右隅に吸い込まれる。誰もが素晴らしいゴールだと思ったが、オフサイドの判定で取り消される。

 

30分、センターサークル付近でボルギがドリブル、その右をカストロが駆け上がる。ボルギはカストロへスルーパス。カストロは角度のないところから浮かせたシュートをゴールサイドネット

に決める。1-2。

 

38分、アルヘンチノスがクリアしたボールが、センターサークルとペナルティエリアの間の真ん中あたりにいたラウドルップの前へ。ラウドルップは右サイドのプラティニにパスし、ペナルティエリアの中へ駆け上がる。プラティニがダイレクトで返したパスはディフェンスの裏側に走りこんでいたラウドルップの足元に寸分の狂いもなく届き、ラウドルップはGKと1対1になり、飛び込んだGKをラウドルップは右に交わし、ボールはラインを割るかに見えたが、ギリギリのところでシュートを放ち、ゴールが決まる。2-2。

 

44分、プラティニの強烈なシュートがゴールバーを直撃するが、その前に笛が鳴っていた。

2-2のまま延長戦へ。

 

アルヘンチノスのキックオフで延長戦前半開始。

7分、ラウドルップが華麗なドリブルを見せるが、アルヘンチノスの汚いファールで倒される。

アルヘンチノスはボルギがボールを持つと中央突破を見せたり、カストロが右サイドからチャンスを作ろうとする。延長前半終了間際にボルギのうまいトラップからエレーロスにゴール前でパスが渡るがシュートできず。

 

延長後半がスタート。

2分、ユベントスはゴール正面25mあたりからのフリーキック。プラティニが軽く横に出したボールをカブリーニが左足で強烈シュート。ボールはディフェンスに当たったあとゴールバーをわずかに超える。

13分、GKタッコーニが蹴ったボールをセレナがヘッドで競り勝ち、ゴール前のプラティニへ。プラティニは後ろから来たボールをダイレクトでシュートするが、ゴール右に外れる。

 

延長でも決着がつかずトヨタカップ史上初のPK戦へ。

 

最初のキッカーはユベントス、ブリオ。ゴール左隅に決める。

アルヘンチノスは、オルギン。ゴール左隅に決める。1-1

 

2人目、カブリーニ。左足で右サイドネットに決める。

アルヘンチノスはバチスタ。バチスタはとても22歳には見えないヒゲの風貌で、この翌年のメキシコワールドカップでもアルゼンチン代表として活躍した。しかし、右に蹴ったシュートはタッコーニがストップ。2-1

 

3人目、セレナ、左足で右サイドネットに決める。

ロペスは正面に蹴って決める。3-2

 

4人目、ラウドルップは左に蹴り、GKビダジェにストップされる。

パボーニは正面に蹴り、タッコーニに止められる。3-2

 

5人目、プラティニ。これを決めれば試合が決まる。プラティニは1点目と同じ右に蹴って決める。4-2

 

ユベントス優勝。トヨタカップになって初めてヨーロッパが優勝した。

 

この試合が開催されたのが1985年12月8日で、その当時の日本サッカー界といえば、1985年10月に行われたワールドカップメキシコ大会のアジア最終予選で韓国に勝てば、初のワールドカップ出場というところまで行っていた。

結果はホーム、アウェイとも韓国に敗れ、ワールドカップ出場は夢物語に終わってしまう。

ただ木村和司の伝説のフリーキックはプラティニの幻のゴールとともに35年たった今でも語り草となっている。

 

日本のワールドカップ出場、今では当たり前のように思われているが、当時のアジア出場枠は2ヶ国(本大会は24ヶ国)。中東勢と韓国で出場枠が決まってしまい、キャプテン翼のワールドカップ優勝など荒唐無稽な話であった。

 

また1985年10月に私の住んでいた地域でも三菱ダイヤモンドサッカーが放送されるようになった。毎週土曜日の18時からの30分間が楽しみで仕方なかった。