「うん。今は第四公園にいるよ」
スマートフォンに向かってそう投げかける。相手の声も返ってくるのだが、どうしてか僕の脳はその言葉を理解しようとしなかった。
画面を消したスマートフォンをポケットに放り込んで、僕はまた俯いた。煙がかかったような感情がまた、じわじわと、僕を暗いところへと追い詰めていく。
やあ、こんにちは。そう声をかけられてはっとした。顔を上げるとそこには、スーツを身にまとった長身の男が立っていて、わずかに微笑んでるようにも見えるその顔で、僕の顔を覗き込むように見つめていた。ちょうど似たような背格好の男に腹が立っていたので、僕は少し不躾に答えた。
「えっと……、何の御用で?」
自分がどうしてこの公園に佇んでいたのかもよくわかっていないのだが、僕はその男にそう問いかけた。男は張り付けた笑顔を崩さないまま、僕の問いに答える。
「人生に、絶望しているように見えたので」
男の口から発されたのは、まるで小説や漫画に出てきそうな台詞だった。続けて、いかがわしい薬や機械を提供されそうだと思った。
けれど確かに、男の言う通りかもしれない。この数日間で僕が受け止めた出来事は、僕を絶望の淵に追いやるには十分すぎた。故に、きっと僕は仕事もいかずにこの公園に来ているのだろう。
「相談にのりますよ」
男はそう言うと、僕が座っているベンチの隣に腰を下ろして、紺のネクタイを少し緩めた。
「いや、いきなり知らない人に相談とか無理ですよ」
僕ははっきりとそう言った。それが僕の本心だったし、そうでなくても、それが当たり前のようにも思える。いきなり現れた謎のスーツの男を信用しろというのは、いささか無理がある。
「ほら、知らない人だからこそですよ。例えばここが出先で寄ったバーだったら、あなたはためらいなく相談したでしょう?」
二度と来ることもないであろうバーで、たまたま居合わせた知らない男に相談をする。確かにそのシチュエーションならば、僕も少しは口が軽くなりそうな気もする。けれどここは家から近所の公園だ。この男が誰と知り合いなのかわかったものではない。
「大丈夫ですよ。私が今住んでいるのは他県で、たまたまこの街に来ているだけですから。……まあ、知り合いもいますけど」
男の説得は続く。むしろ何故それほど説明してまで僕に相談されたいのか、その行動原理は理解しかねるが、その親切な微笑みに裏は見えそうになかった。
「実は、私も誰かに相談したいことがありまして」
僕が頭を抱えながら煙草に火をつけようとしたその時、彼は不意にそう言った。なるほど、彼からしてみれば、公園で項垂れていた僕が仲間に見えて声をかけたくなったのかもしれない。僕の相談に乗りつつ、自身の悩みを同族に打ち明けたかったのかもしれない。
「それなら、聞きますよ」
僕はそう答えた。急に彼に対して仲間意識のようなものが芽生えたのかもしれないが、それはそれとしても、僕は彼の相談事に単純な興味があった。
「ついこの間の事なのですが、以前交際のあった女性と偶然会ってしまいまして」
「ほう」
仕事で悩みを抱えそうなタイプには見えなかったので、意外性のない悩み事だった。とはいえ、そういった悩みは人間が最も抱えやすく、そして最も傷つきやすい問題なのは間違いなくて、故に僕の興味はさらに深まる。
「長い期間が空いていたせいか、僕も彼女も、久しぶりー、なんて話してしまいまして」
「――ああ」
安易に想像がつくし、僕の中で合点がいった。彼がどういう人間なのか僕は理解した。悲しいがこんな事はよくある話だし、きっと彼は続けてこう言うのだろう。
「そのまま一緒に夕食を取って……、ホテルへ行ってしまいまして」
だろうな、と発する代わりに僕は煙草の煙を遠くへ吐いた。気が付けばもう根元まで吸い尽くしていたので、また新しい煙草に火をつける。
「後悔してるんですか?」
「いや、後悔はしていないんです。今は別の彼氏がいると言ってましたけど、元は僕の彼女ですし。ただ、今後どうすべきかと悩んでまして」
思っていたよりも随分と身勝手な意見をぶつけてくるな、とかえって感心してしまった。今後どうするかなんて、彼の考える事ではないだろうに。そう思って、僕は確かめるように問いかけた。
「彼女はなんて?」
「今の彼氏とは別れようかな、なんて言っていましたよ。だからこそ悩むんです」
――なるほど。僕は煙とともに小さく呟いた。
携帯灰皿に吸殻を押し付けて、また一本、煙草を取り出した。
「じゃあ、好きにしたらいいんじゃないですか」
吐き捨てるようにそう言った。けれど彼は、そんな言葉ですら真剣な眼差しで受け止めていて、僕は寒気がした。
「そうしてみます。誰かに後押しされると元気が出ますね」
「そうですか」
彼は理解しがたい笑顔をこちらに向けて、ありがとうと呟いた。
「それじゃ、よければ貴方の悩みも聞かせてください」
彼は取り戻した笑顔でまた、僕の悩みを聞こうとする。そうなるのはわかっていたし、僕も話すつもりはあった。けれど――
「もういいんです。解決しましたから」
「えっ?」
彼の笑顔が驚いたような表情に変わったのが、僕にはとても滑稽に思えた。
そんな時、背後から砂を踏む足音が聞こえた。きっと彼女が来たんだろう。思っていたよりも随分長話をしてしまったようだ。
「お待たせ」
やはり彼女の声だ。その声を聴いて、僕よりも早く隣の男が振り返ったのを見て、僕は言った。
「さようなら、二人とも」
煙草の灰が、静かに地面に落ちた。
著者:すーぱーもぐりん