休憩したので、なんとか異臭はしなくなった!!!



道中、また雰囲気の良い建物を発見おねがい
 

あれは何だろうおねがい




【左座家(ぞうざけ)】



平家の落人より先に、菅原道真の子どもが最初にこの地に村を開いたという伝説が残っているらしい。
 

 
【菅原道真】
 

平安時代の初期、承和12(845)年


代々、学者として朝廷に仕える菅原家に生まれる。



当時政界を牛耳っていたのが【藤原一族】


幼少の清和天皇が即位すると、藤原良房が人臣で最初の摂政、藤原基経が関白になる。



けれども


光孝天皇についで即位した宇多天皇は、身近な親戚に藤原一族の有力者がなく、藤原氏の勢力を押さえるために菅原道真を重用。


道真は右大臣となり、遣唐使を廃止する。



延喜元年、左大臣藤原時平などの中傷により、菅原道真は太宰府に左遷。(事実上は流罪)

 
都を懐かしみ、絶望のなか病気を患い、連れてきた子どもにも先立たれる。


延喜3(903)年、道真、59歳で亡くなる。

 

道真の死後も、藤原一族は追い討ちをかける。

 

道真の二人の息子、兄を管宰相、弟を管千代丸がいた。
 

兄は、五家荘仁田尾の奥に逃げ、住み着き、【左座】太郎と名乗り、仁田尾を支配した。








案内音声からも「ふじわら」「ふじわら」と、うちらには耳が痛いことアセアセ

 

やっぱりさ


私がこの時代に生まれてきた意味というのは


《 藤原一族と菅原一族の仲直りのためではないか 》


という気がしてくる。。。



仲直りというと、なんか軽い感じがするけどアセアセ



仲直り
 

結ぶ
 

統合




『君の名は -ふじわらかよこバージョン-』


なんだか小説が書けそうだてへぺろ






先月行った宮島の民族資料館でも
 


厳島神社は3回焼失したらしいんだけど、その修復に"ふじわら"サンが関わっていたんだ。






左座家


復元したものだけど


雰囲気の良さ~ラブ



ゆーしとみやびと、3人で探検して楽しいー!!






 
写真が絵になってます。
 

空、山、建物のコントラストが美しい。





おや、面白いことしてる親子を発見しましたよ。



顔出しできないのが口惜しい。
 


魂が抜けてる、怪しいひとを想像してください。


となりの座敷わらしもいい味出してます(笑)





つづく