おはようございます😊


一体、人間の最期は

どのようなものがしあわせなのだろう?


と考えていて、


少し前にKindleで読んだのが


医師の森田洋之さんが書いた

「うらやましい孤独死」です。


タイトルが誤解を招きやすいのですが、


タイトルで言う孤独死の意味は、


最期がたまたま1人の状態であっても、

最期まで社会の中で暮らし、

人との関係性を保ち見守られ、

自宅などの自分が落ち着く環境で亡くなることです。


著者は

医師として

最初のころは、

命を救うこと延命することが正義だという

教育を受けた通り

高齢者が具合が悪ければ入院させ、

病院で、できるだけの医療を行っていたそうです。


でも、その後たくさんの患者さんたちとの

出会いと経験から

考え方が変わり、

本人がどのように過ごしたいのか

それを尊重する医療を行うようになりました。


慣れた生活から離れ

病院に入り、

点滴などの管につながられ

家に帰りたい帰りたいと訴えながら

亡くなってしまう高齢者が多いです。


看取りの主役は本人と

その家族。

それぞれの事情もあって、

何が正解もないけれど、

慣れた環境で過ごすなら

本人と家族をサポートする医療と介護の体制づくりが重要だという話です。


もし興味があったら

kindle unlimitedで読めますのでどうぞ😊


さて、ここからは

高齢者の最期や介護の話になるので

重たい話ですし、

読みたくない方はここでやめておいてくださいね。


その本を読んで

数ヶ月後の現在、


わたしの身に

この本の通りの事態が起こりました。


わたしの父は95歳。

年下の80代の母と2人で自立して暮らし


毎日の散歩をして

足腰を弱らせない努力を続けてきました。

そのおかげで94歳までは

よく歩きよく食べ

好きなスポーツ観戦をテレビで楽しんだり

していました。


ところがコロナに罹患してから

急に認知が進み、

いわゆるまだらぼけのような

状態になりました。


そして、転んで怪我をすることが

多くなり


ケアマネージャーさんが付いて

実家に手摺が設置されたのが

つい最近のことです。

だから、

ある意味

長いこととても健康に恵まれていたとも言えます。

そこにはもちろん本人の健康意識が非常に高く、たくさん努力をしてきたかいもあってのことです。



父が90を過ぎたあたりから

わたしの頭の中に

常にあった思い、

父との別れがそう遠くないだろうこと、

それは長くても10年はないだろうこと、

それは恐怖でもあり、

常に頭の片隅にある不安でした。

でも、覚悟をしておきたいという思いで

「いつ何があってもおかしくないよ」

と、自分自身にも言い聞かせ、遠方に住む自分のきょうだいにも話していました。


それが

先日いよいよ来たか

と思う事態が起きました。


実家の父が

急にふらついて歩けなくなり

熱もあったので

本人同意のもと、

救急車を呼んだというのです。

両親の近くに住む姉から連絡を受けて知りました。


軽度肺炎と

泌尿器系に炎症が、見られるとのことでした。

…人間、高齢になると最期は肺炎ですから

来るものが来たと思いました。


見立ては2週間の入院。


高齢者は

入院すると急に認知が進んだり

歩けていたものが歩けなくなることもあるし、

急変することもあると説明を受けたと、

姉から聞きました。


父は今入院中で、

連日

母や

わたしたち姉妹、

遠方に住む妹も、

そして、父にとっての孫たちが

面会しています。


父というのは

若い頃から

大変気性の激しい人で、


昔、子供の頃に、

「寺内貫太郎一家」ていうドラマがありましたが


そのドラマの寺内貫太郎みたいな人で

ちゃぶ台ひっくり返すし

手も足も口も出る人でした。

痩せてるので、痩せた寺内貫太郎です。

気性が激しいけれども

家族を守ろうという情が厚いタイプです。

高校生くらいのころはわたしも

父の横暴に苦しんだことがありましたが

それも、今は昔です。


さて

そんな性格の父は

病院嫌いで

拘束されるのが大嫌い。


そこはわたしと同じなので

気持ちが手に取るようによくわかります。


認知症で

理性が働かないので

病院で夜、暴れてしまい

大変看護師さんたちの、手を煩わせているトンデモ高齢者になってしまっています。

家ではおとなしいのに。


帰りたい帰りたい

訴えます。

入院後確実に認知が進んでいます。

これ以上入院が長引くと

廃人になってしまわないか、、



わたしは面会して、

これが

95年頑張って生きてきた人間に対する

仕打ちか

と思いました。

テレビもタブレット操作が難しくて見られない、

携帯ももともと所持していない、

本も目が老化していて読めない、

食事もない(点滴)

歩けない、

1日何もすることがなければ

誰だって病みます。



いえ誰も悪くないのです。

病院には感謝していますし

暴れて怪我したら

もう、アウトなので

看護師さんたちが取り押さえて

結束バンドで固定するのは

仕方ないことです。

病院にいるかぎり、

安全確保が第一だから。

看護師さんには申し訳ないです。

本当に大変なお仕事ですよね。


でも

あまり、人のことかわいそうという表現は

しないようにしているのですが、

こればっかりは


おとうさんがかわいそう!!


の一言です。


家族で話し合い、

連休開けの医師の判断と

ケアマネさんとの連携で、

最短の退院と

自宅での看護体制を作る

方針でいます。


それも綺麗事ではないでしょう。

そうなったら

80代の母が、倒れないためにも

できることはやるつもりです。

プロの力を最大限に借りながら。


もう95年使用してきた肉体は

脳も身体も使用期限が来ているのです。

最後の方くらいは好きなように

させてあげたい。


どうか、どうか、

1日も早く

父が、安心していられる環境にしてあげられますように。

落ち着いて好きなスポーツが観られるように。


良い方向

良い体制がつくれますように。

それまで お父さん、がんばってほしい。


なんだか

落とし所のない話になりましたが、


わたしたち自身も

いざとなったら

どうしてほしくて

どうしてほしくないか

を周りに伝えたり

こうでありたいというものをイメージしていたり

といったことは

大事かもしれませんね。