創世記の1〜2は、天地創造。旧約新約あわせて二千ページ超えの聖書の冒頭である。聖書100週間の通読範囲が1章から2章と狭いのは、すみずみまで、じっくり読みなさい、ということなのだろうか。狭い範囲ながらもじっくり読むって難しいものだなあ。
 この世の始まり、地球の始まり。どんな風だったか想像しようと思ってもなかなか難しい。初めに「神」は天地を創造された。「神が」造られた、というのが芯。神の霊が水の面を動いていた。「霊」「水」、どちらも大切なもの。
 6日間かけて神はこの世を造られた。人は、第6日目に造られた。ご自分にかたどって。ふむふむ、神さまは、人のようなお姿なのだな。そして生き物すべてを支配せよ、と。草や木、すべてをあなたたちに与えよう、と。ずいぶん優しいな。産めよ、増えよ。増産計画だな。神は一つ一つ造るたびに、「良し」とされた、とあるから、創造活動が順調に進んで、満足しご機嫌だったのだろうな。
 第7の日、安息なさった。安息日だな。
 エデンの園に人を置かれた。園の中央には、①命の木、②善悪の知識の木、を生えさせた。園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。なぜだろう?こんなこと言われたら、食べたくなるのが人情だと思うけど‥‥。
人が独りでいるのはよくない、から、女を造られた。人が独りでいるのはよくない、というのも、一つのメッセージか。「人が集うところ」が大切なのだから。
 人を造られた経緯は、1章と2章と異なっていて、同じ本なのに、重複と言おうか、諸説入り混じっている感じがする。聖書の中には、重複や、違う説明がよく見られる。いろんな伝承の寄せ集めだからか、作者が沢山いるからか、確証はないが、そんな理由ではなかろうか、と今のところ思いながら読み進めることにしよう。
 とにかく、神が全てのものを造られた、というお話。命の木と善悪の知識の木は、大切そう。
 私個人としては、スイカや幸水梨、みかん、ぶどう、桃などなど、果物を食べる時、神さまに心から感謝する。こんなに美味しいものをありがとうございます、と思わずにはいられない。人間は、いろんなものを材料にして、美味しいものを作ることができるが、果物そのものは、どうやっても作れない。こんなに美味しい実を果実を造ってくれて、本当に感謝しかない。ここのところの猛暑の中、スイカが美味しくて美味しくて仕方がない。甘くて水分たっぷり。食べると、体温が急に下がるような心地よさ。神さま、本当にありがとうございます。
 そして、最近の猛暑や台風、大雨、洪水、地震などの異常気象や天変地異。人の力ではどうにもならないものがあることを思い出させてくれる。大きな力の中で、神のご計画の中で、私たちは、私は、生きている、生かされている、ということなんだろうな。