民数記は、一章の人口調査から始まる。文字通り、民を数える書物なんだな、と最初は思うが、それだけではなく、レビ記からひき続き、主のこと細かな指示の書であることがわかる。
 エジプトを出発したモーセ率いるイスラエルの人々は、カナンの地に入るまで40年間民族移動した。40年もの間、大人数で移動生活をしようとするば、人数の把握も必要だっただろうし、グループ分け、それぞれの役割分担、細かな規則、システム作りが必要であることは自明である。主は、丁寧に、本当に細かいところまで指示を出した。
 人口調査によると、総勢603.550人というから、驚きである。そんなにたくさん、とは思わなかった。60万人もの人が、移動できるのだろうか。祭司の役割のレビ人は、真ん中の幕屋をとり囲み、周囲に、12部族が、配置され、宿営した。移動する民ではあったが、軍隊の組織でもあった。通り道で、先住民との争いもあっただろうし、何より、移動生活はしんどいものだったに違いない。先住民も、そんな巨大組織がやって来たら、たまったもんじゃないだろうなあ、と思うがどうだったんだろうか。
 主は、人々が食べ物に困らぬよう、マナという食物を降らせてくれたそうだが、マンネリな食べ物に民の不満が爆発する。11章で、エジプトでは、魚、きゅうり、メロン、葱、玉葱、にんにくなどを食べていた。肉を食べたい!と訴える。そりゃそうだろう。
 モーセはモーセで、困ってしまって、一人では、こんな民を背負いきれないと、主に直訴する。主は、70人を任命して、民の重荷を分散させる。と同時に、肉を欲しがるので、うずらを大量に降らせて、たくさん食べさせておいて、疫病をはやらせて、民を打たれた。主が激しく憤られたのだ。厳しいなあ、と思う。
 しかしながら、主は、イスラエルの民を特別に選び、愛されたからこそ、エジプトからカナンの地へ導かれたのだろう。愛はあるが、めちゃくちゃ厳しい雷親父、といった感じだろうか。

 6章-24〜
 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 主が御顔を向けてあなたを照らし
 あなたに恵みを与えられるように。
 主が御顔をあなたに向けて
 あなたに平安を賜るように。
 
 美しいことばだなあ、と思った。

12章-3〜
モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。

モーセは、神から特別に選ばれた人で、自分のできなさを知っている、文字通り謙遜な人だったのだろう。しかし、主からの細かい指示を、理解し、覚え、民やアロンに伝え、説得もし、理解が得られなかった時には、噛み砕いて説明し、根気よくそのつとめを果たすことのできる人だったのだろう。その能力、タレントは、ダントツに高かったのだろう、と思った。