いつ頃からだろうか。2月の梅の花の咲くころ、梅の花の様子が気になりだしたのは。朝夕の散歩コースに、なんとたくさんの梅の木があることだろう。さまざまな色で。なんとも可愛らしく、それでいて上品な姿。桜なんかより何倍も美しい。そもそもお花自体、そんなに興味があったわけじゃない。ここのところ、自然と目がいくようになったのだ。ふるさとの庭にも、梅の花がある。濃いめのピンクで
 愛犬との散歩は、いやおうなく、ほぼ毎日の朝夕、手ぶらで外を歩くことになる。頭の中も手ぶら、つまり「無」の状態のことが多い。よそのお宅の庭木を眺めたり、空の雲の形を目でたどったり。雨の前のしめった空気を感じたり。つくしを見つけたり。急に春めいたパッと明るい日差しに気づいたり。鳥の声が日差しの中で嬉しそうにひびいていることも。鳩、カラス、雀みたいなありきたりの種類でない鳥たちとの出会い。身近に、こんなにもいろんな鳥がいたのか、と驚いてしまう。
 じろうは、一日の中で、散歩をそれはそれは楽しみにしてるし、草の匂いをかいだり、遠くを見つめたり、忙しそう。お金なんか使わなくても、こんなにも楽しく豊かに遊べてしまう姿に、学ぶことは多い。風の匂いをかいでいたり、遠くに犬を見つけてほふく前進したり。
 一昨日、新しい元号が発表された。「令和」。出典は万葉集。「初春の令月にして、気淑く(きよく)風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き(ひらき)、蘭ははいごの香を薫す」梅の花の歌の序文だそう。昔から、梅の花というのは、日本人の身近にあって、春の訪れを感じたり、姿そのものが文句なしにきれいだったりして、見て、嬉しい気分になるものだったのだろう。
 ここでまた母のことを思い出すのだが、梅の花を見に行くのが好きだった。今はもう梅の木はなくなってしまったらしいが、伊丹の緑ヶ丘公園に、わが子たちと共に連れて行ってもらったことがある。もっとさかのぼると、私がまだ学生の頃、西宮の北山緑化植物園だったか甲東梅林だったかに一緒に行ったことも思い出す。なんでこんなんわざわざ見に行くんやろー、と思ったものだった。梅の花はこの時期だけのものだし、こうやって見に行くものなんやな、と無理むり思ったものだった。もっとさかのぼると、世田谷の芦花公園にも行ったかも。忘れてしまったけど、あちこち見に行ってるかも。また思い出せるといいのだけど。