最近では着物を着るのが、そんなに大変ではなくなった。最初は、うまく着れず、汗だくで着付けしていた。と言っても、私の着物歴は、約4年ほど。
  5年近く前に母が帰天した。思っていた通り、いや想像してたのに、想像を遥かに超えて、横っ面を思いっきり張り飛ばされたような衝撃であった。さまざまなことで途方に暮れた。そのうちの一つが着物だった。
  新しいもの好きの母で、パソコンもせっせとしていたし、当時目新しかったモンクレールのダウンも着ていたし、若い人が使うロクシタンも愛用していた。洋食も大好き、外国旅行もたびたびしていた。
  一方で、京都で育ち、国文科出身で、若い頃は茶道の先生をしていて、和の部分をもたくさん持っていた。
  私に着物をたくさんあつらえてくれて、折にふれ和の文化に触れさせてくれた。着物や和ものに、なかなか興味を示さない私に、根気よく種まきをしてくれていたんだと思う。
  私が着物を着る時は、母の娘時代にお手伝いをしてくださっていたTさんが、着付けをしてくださっていた。私は、着物の管理も、着付けも丸投げで、着物の種類も扱いもなにも知らずにいた。
  母が病に臥せっていた頃、姪に帯を一枚あげてほしいと言われたことがあった。着物にふれることも箪笥をあけることも面倒だった私は、どれのこと?と言いながら放ったらかしていた。あげるのが嫌だったのではなく、どれがどれかわからないから、見に来てほしいと思ったのだった。入院中なのに。
  それからしばらくして、母は逝ってしまった。母よりひとまわり位年上のTさんと会って、別れるとき、お元気で、と手を握って言われた。今までそんな別れ方をしたことはなかった。ああ、今生の別れなんだなと感じた。お年もめされているし、扇の要である母がいない今、これから先、もうお会いできない、お会いする機会がないのだなあ、と寂寞の思いがした。
  母が言っていた帯はどれのことなんだろう?着物をこれから私はどうしたらいいんだろう?途方に暮れてしまった。いつでも聞けるし、任せとけばいいと思っていた人がもういなかった。そもそも、着物なんていらないとまで思っていた自分が情けなかった。
  ひと月のち、着付け教室に通いはじめた。着物を着るとき必要な小物は何か?いつ何をきればいいのか?どの着物がどの名称か?着物と帯の組み合わせはどれか?出したら、たためないから、触るのもこわい、という状態で。
わからないことだらけで、身近に聞ける人がいない今、もうそれこそ必死のパッチ(笑)だった。
若い頃、母に無理無理、着付けを習わされたこともあった。全くなじみがないわけではない感じだったのが、幸いだった。気持ちの上で、教室に通うハードルはそんなに高くなかった。
そこから、私の着物生活が始まった。必死に通ううちに、着物にどハマりしてしまったのだった。