さきの続き。

自分の弱さと戦うという言葉は高村光太郎の詩から

きているのだと思う。



要するにどうすればいいか、といふ問は
折角たどつた思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以って、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因にのみ生きる事。
それのみが浄い。

高村光太郎 「火星が出てゐ」


思えばこの詩によって何度励まされたこと

だろう。

優れた文学作品は常に人生に寄り添っている。

逆にそうした作品だからこそ古典といわれるのだろう。

自分と戦い、自分の弱さを滅ぼし、自分に打ち勝つ

こと。これしか出来ることはないのだから。

最近は中村天風の本をよく読む。天風は本を書く

事にはあまり熱心ではなかったらしい。自分の生きている

うちに、全人格でもってぶつかっていた人のようだ。

生きているときにその姿を一度見てみたかった人だ。

言葉こそが重要であり、絶対に否定的な言葉を使わない

ことと、取り越し苦労をしないことこそが先人の教えである。




以前にも書いたが、どうも楽観的である。

状況は極めて悲観的だ。しかしながら

なんとかなるさと心のどこかで思っている。

ほんとうのところどうなるかは分からない。

しかしながら、人生はあらかじめ決まっている

とも思っている。妻は自殺すると予告しているが

ほんとうのところ、人にはそれぞれの天寿がある

とも思っており、死ぬときには死ぬのだし、もし

まだ寿命があれば、死なないのだろう。

自分に出来ることはなにか?

自分のやれることをやるしかない。所詮、過去

と他人は変えられないのだし、自分の意思で

変えることができるのは、自分の行動と未来だけ。

なので、自分がベストだと思うことをやるしかない。

自分の弱さと戦いながらではあるのだが。
妻が病気になってから夕食を自分がおもに

作るようになっているが、まだ慣れない。

難しいのは作ることよりも、メニューを考えること

だ。何でも良いというわけにはいかず、外食ばかり

だとお金が掛かりすぎる。やはり、ここは栄養バランス

の取れたものをリーゾナブルな予算で作ろうとすると

何をつくるか悩む。

というわけで、少し振り返ってみると金曜は豚の

しょうが焼き、昨日はスーパーの惣菜(鶏から揚げ

イカから揚げ、コロッケ他)、今日は豚シャブとやはり

肉類中心に固まってしまいます。野菜もとるようには

しているが果たしてどんなものなんだろうか?

明日から仕事なので、カレーも作った。こちらはつくり

置き。

明日からまた新しい一週間が始まる。