さきの続き。
自分の弱さと戦うという言葉は高村光太郎の詩から
きているのだと思う。
要するにどうすればいいか、といふ問は
折角たどつた思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以って、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因にのみ生きる事。
それのみが浄い。
高村光太郎 「火星が出てゐ」
思えばこの詩によって何度励まされたこと
だろう。
優れた文学作品は常に人生に寄り添っている。
逆にそうした作品だからこそ古典といわれるのだろう。
自分と戦い、自分の弱さを滅ぼし、自分に打ち勝つ
こと。これしか出来ることはないのだから。
最近は中村天風の本をよく読む。天風は本を書く
事にはあまり熱心ではなかったらしい。自分の生きている
うちに、全人格でもってぶつかっていた人のようだ。
生きているときにその姿を一度見てみたかった人だ。
言葉こそが重要であり、絶対に否定的な言葉を使わない
ことと、取り越し苦労をしないことこそが先人の教えである。
自分の弱さと戦うという言葉は高村光太郎の詩から
きているのだと思う。
要するにどうすればいいか、といふ問は
折角たどつた思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以って、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因にのみ生きる事。
それのみが浄い。
高村光太郎 「火星が出てゐ」
思えばこの詩によって何度励まされたこと
だろう。
優れた文学作品は常に人生に寄り添っている。
逆にそうした作品だからこそ古典といわれるのだろう。
自分と戦い、自分の弱さを滅ぼし、自分に打ち勝つ
こと。これしか出来ることはないのだから。
最近は中村天風の本をよく読む。天風は本を書く
事にはあまり熱心ではなかったらしい。自分の生きている
うちに、全人格でもってぶつかっていた人のようだ。
生きているときにその姿を一度見てみたかった人だ。
言葉こそが重要であり、絶対に否定的な言葉を使わない
ことと、取り越し苦労をしないことこそが先人の教えである。