やはり狭い人にか届かないようにタイトルを付ける、うちの天才こと、高橋です。

 

「良いコンパスを持つ」

付随説明的な感じの回です。

 

 

コンパスは、なんとなく判ったけど「じゃぁ、どおすんのよ」ってことを、ほんの少しだけ深堀します。

 

 

 

では。

 

 

ー学習に傾いた方が良いよねー

 

 

 

ちょっとおさらいの為に。

これまでの教育(教えて、育む)って、ゴールが決まってる社会の中に、いかに正解を導いて、いかにルールに順応していくかに焦点が当たってると考えてます。

 

 

そのやり方は、ゴールが決まっている社会に対しては有効だけど、ゴールが変化してゆく、もしくはゴールが見えなくなっていく社会では、無効になってしまうのではと思う。

 

 

例えば、

良いと思ってたのが悪くなる。

目指してたモノが途中で見えなくなる。あるいは無くなってしまう。

 

そうした場合には、急遽、方向を変えるか、解決するよう勉強するしかない。でも従来のやり方だと、そういう風に教えてもらって無いし、何より勉強の方法さえ判らない。

 

車の運転は教えてもらったけど、事故の回避の方法や、事故った時の対処は教わってない。みたいな。

 

方程式は知ってるけど、ヒントも答えも無いから解きようがない」ってなるワケです。

 

 

 

なので、これからの社会で求められるであろう事は、自分から課題を見つけて、解決する方法を自ら作っていく「能力」であり誰かに正解を教えてもらうのではなく、自分で学んで道を探すような「学習」が必要ではないかと思う。

 

 

「じゃぁ、どうすんのよぉ」。

 

自分で課題を設定し、どう学んでいくかを自分で設計し、学ぶことをひたすら繰り返すです。

 

 

サラッと書きましたが、

そもそも、その方法がやり方が判らないし、何から手を付けたら良いのやら。ですよね。

 

しかも超面倒臭いのが、途中、失敗も多い

さらに何度もコケる可能性ありです。

 

 

また、この方法の注意点は、

自分で学ばず、結論だけ人から教わるようになってしまうと、従来のやり方と一緒になってしまうので、ゴールが見えなくなると途端に舵を切れなくなってしまう。

#どおだぁ~

 

 

だから

「良いコンパス」を持とうよ。になって。

コンパスを持ち合って、情報を共有しようよと。

仮説、実証、検証を繰り返そうよ。

そして精度を上げようよ

その都度、確認して、微調整しながら進もうよ

となるワケです。

#おおーぉ

#良い着地じゃん。

#天才じゃね。

 

 

これまでは失敗が許されない社会だったけど、これからはむしろ、失敗からも学びを深める必要はあると思う。

 

またその失敗も共感を得られるとも思うし。

 

 

「良いコンパス」を持ち、仲間と情報を共有し、失敗からも貪欲に学びあい、仲間で支えあうことの方が重要になっていくのではないかと考えます。

 

というワケで、

#どういうワケだよ~

 

「頑張って学習しようよ」でした。