このチームの前身は、南海鉄道がメインとして本拠地を大阪に置いた、南海ホークスでした、南海は、パリーグとして独立してから1970年代まで、常に優勝争いに絡むチームとしていました。名選手、名監督も多く輩出したチームでもありました。監督としては、鶴岡一人さんや野村克也さんなどが居て、野村さんは監督と選手を兼任しながら、チームとして選手としても成績も残していました。僕個人としては、王貞治さんと同じくらいの大選手と思います。他には、江本盂紀、佐藤道郎、杉浦忠、山内孝徳、新一、和宏、広瀬、門田博光などがいました。しかし、そんなチームも1980年になると、成績も下がり、選手のトレードなどでの戦力ダウンを強いられ、企業としても厳しいとこから、南海での運営は厳しく、その頃九州でのプロ野球フランチャイズを呼び掛けており、それに合わせるように、運営を南海~ダイエーに移り、本拠地も大阪~福岡に移りました。福岡は1977年まではクラウンがフランチャイズとしていた以来15年ぶりの球団復帰となりました。福岡に移ってからは、まだ戦力的には弱くBクラスを彷徨っていました。ダイエーとして4代目の監督に就任した、王貞治監督は、チームの立て直しをして5年目に初優勝をして、それからは、常に優勝争いをしていました、しかし、王監督が体調不良で秋山監督に変わってからも優勝争いを快進撃をしています。ダイエーになってからは、小久保、松中、井口、城島、川崎、本多、杉内、和田、斎藤、馬原、摂津などの選手などがチームを盛り上げました。今では福岡ドームも観客は多く入るようになりました。南海ホークス⇒福岡ダイエーホークス⇒福岡ソフトバンクホークス、本拠地は、大阪球場⇒平和台球場⇒福岡ドームと北九州市民球場と併用に使っています。