次は横浜ベイスターズですけど、このチームもセ・リーグの中ではヤクルトに続いて変革の多いチームです。最初は、大洋漁業をメインスポンサーで本拠地を下関にしてリーグを戦っていましたが、成績が芳しくなく、広島と合併などの話しは出たのだが、結果、大洋漁業がそのまま運営をしていました。後に下関から、東京に本拠をして、球団運営をしました。後に、横浜市が運営をしてメインスポンサーはTBSが今は運営をしています。大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズとなり、本拠地とする球場は、下関球場→川崎球場→横浜スタジアムに至りました。1959年までは6年連続最下位など、成績は芳しくありませんでした。そんな大洋の救世主になったのは、前年まで西鉄ライオンズの快進撃の采配をしていた三原監督でした。三原監督による人海戦術を使った、采配により1960年に就任1年目でリーグ優勝、下馬評では大毎に負けると言われた日本シリーズも4戦全勝と言う強さを感じた大洋でした。攻撃陣は決して得点が少ない中で孤軍奮闘していたのは、近藤昭、土井、桑田などで、メインはしっかりした投手陣、秋山を筆頭に鈴木隆、復活をしたエース権藤、完全試合をした島田源太郎などの活躍で優勝を手にしました。しかし、その優勝以降は、Bクラスの生活が長かったです。横浜大洋になってからは、しばしAクラスにも入る事ありましたが、優勝には至りませんでした。横浜ベイスターズに変わってから4年目の大矢監督で2位になる快進撃になり翌年権藤監督率いるチームで38年ぶりの優勝になりました。その時は内角を攻める強気の投球と攻撃陣でもマシンガン打線と言われるくらい、細かい野球よりも攻撃野球がメインでした。投手陣は三浦、野村、川村などの先発陣で盛田、佐々木のダブルストッパーの陣容で打線は石井、金城、鈴木尚、佐伯、谷繁の生え抜き陣にブラックス、ローズの強力助っ人による攻撃陣により優勝しましたが、それ以降は、優勝には縁遠くなって、今年は尾花監督采配にて戦っていますが、これから色々楽しみのあるチームになるようになる雰囲気がありますね。このチームは、監督交替が早く、生え抜きの主軸選手が残らないチームの風潮があるけど、これは是非無くして欲しいと感じます。