この球団は、一番チームの変化が多かったチームですね。最初のメインスポンサーは国鉄(今のJR)、フジサンケイグループ、ヤクルト。と言った具合に変わり、国鉄スワローズ→サンケイスワローズ→サンケイアトムズ→アトムズ→ヤクルトアトムズ→ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズと変わりました。本拠地は、東京スタジアム→今は神宮球場となりました。1977年までは優勝は無く、国鉄時代は金田正一をエースにしてチームとしては5割前後を行くチームでした。大投手金田の巨人のトレードで失ってからは、三原監督などを招聘してチームの上昇をしましたが、金田のトレード以降はBクラスの常連のチームでした。そんな状況の中でヤクルトのある種第一次の変革のキッカケは広岡監督の徹底した管理野球による事で52年には2位、そして1978年に初優勝となり、日本シリーズでは最終戦にて大杉のレフトへのホームランの判定を巡り、1時間の抗議などがあり波乱のシリーズでしたが日本一にもなりました。どちらかと言えば攻撃陣が強力でヒルトン、マニエルの助っ人の活躍、大杉の長打力、そして若松、杉浦、大矢の生え抜き選手の打線はすごかった。投手陣では松岡弘を軸に安田、鈴木康、梶間の先発陣の活躍と抑えの井原のストッパーも圧巻でした。それからはしばらく下位に甘んじる事が続き、ヤクルトが第ニ次変革は関根監督の若手の育成により上向きになり、1992年野村監督のID野球による事で就任最初の時に優勝をし、それからは10年ヤクルトの監督として、優勝争いの常連のチームとなりました。この野村監督の就任からは、勝つ野球をすっかり習得をしたチームになりました。打撃陣では、飯田、土橋。池山、広沢、助っ人ではヘタジーニ、ラミレス、古田のメンバーで投手陣では、川崎、西村、石井一、ブロス、岡林などの先発陣で引っ張り、高津、石井、五十嵐亮などのストッパーなどで構成していました。しかし、野村監督が辞めてからは、優勝からは遠ざかっています。今は、チームの再生をしている最中ですが、実力は確実に付いています。投手陣は良いから攻撃陣が良ければ優勝争いにも入れるレベルになって来ています。ただ高田監督の辞任は残念でした。いいチーム作りになっていたから残念です。